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『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』(現代思潮新社)が『朝日新聞』読書欄で書評が掲載されました(2017年7月2日)。  


  ◇ただいま発売中です!       
 


 


 (2017.05.05)
  『ウラルの核惨事』
(ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集 第2巻) 、2017/5/05 発売中!

 

ジョレス・メドヴェージェフ (著), 佐々木洋 (監修), 名越陽子 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/dp/4329100037


現代思潮新社 (2017/5/20)

¥ 3,888



◆内容紹介

旧ソ連体制下で隠蔽された核事故(1957年)、旧ソ連南ウラル地方で放射性廃棄物貯蔵所が爆発した。 『ルイセンコの興亡』を米国で出版したことにより精神病院に収容され、その後ソ連国籍を剝奪された著者は、英国滞在中に検閲済みのソ連当局の資料を解読し、この事故を 1976年に「ウラルの核惨事」として公表した。ソ連をはじめ、米・英も事故を否定。ようやく、チェルノブイリ事故後の1989年になって事故を認めた――。 福島第一原発事故に関する論文のほか、新論稿を増補収録した決定版。

◆著者について

ジョレス・A・メドヴェージェフ(1925年生まれ)。生化学・加齢学・政治史研究家。1950年にモスクワのチミリャー ゼフ農科大学在学中に、ルイセンコの横暴を目の当たりに体験。卒業後、同大学 で放射性同位元素を用いた研究をする。1969年に『ルイセンコ学説の興亡』をア メリカで発刊したが、反ソ活動だとの理由でソ連最高会議幹部会決定によりオブニンスクの放射線医学研究所分子生物学研究室長を解任される。1973年英国出張中にソ連国籍を剝奪されるが、以後イギリスに滞在、1990年ソ連国籍回復。主要 著書に『誰が狂人か』(ロイとの共著。邦題『告発する!  狂人は誰か』、三一 書房)、『ウラルの核惨事』(技術と人間)、『市場社会の警告』(共著、現代思潮新社)、『知られざるスターリン』『ソルジェニーツィンとサハロフ』『回想 1925-2010』(ロイとの共著、現代思潮新社)。





ロイ・メドヴェージェフ、ジョレス・メドヴェージェフ双子兄弟の自宅で。  



双子の弟、歴史家ロイ・メドヴェージェフのモスクワの自宅で(2015年10月)。








ロイが『メドヴェージェフ兄弟選集』露文原著にサインしている。
カメラマンは刊行元『人権出版』社編集者のイーゴリ・ザイツェフさん。






ジョレス夫妻とロンドンの自宅で(2015年10月)。夫妻は90歳になった。
背後に小宮山量平自筆の掛け軸がある。



佐々木洋:インタビュー[ジョレス・メドヴェージェフ  わが人生、わが研究]
                        (PDF版)

  

CEO


聞き手 佐々木洋


特集 中国はどこへ

『季刊窓』18号(1993年冬)  


発行:窓社












佐々木洋:赤鬼の出現 幌北ゆりかご保育園での思い出 
 



上記のエピソードは『市場社会と共生の原理』シンポジウムのために来札したジョレス・メドヴェージェフが、札幌の幌北ゆりかご保育園を訪ねたときの「実話」が種です。




6年前の記念事業刊行物への挨拶。<赤鬼>はこの冊子の「コラム」記事。
エルムトンネル開通に伴う変化に対して後手に回ったわが園は深刻な事故を起こした。




メドヴェージェフ双子兄弟の経歴紹介
 
 

 著者について

 ジョレスとロイのメドヴュージェフ兄弟は一九二五年二月四日、チフリス[現、トビリシ]に生まれた。赤軍旅団のコミッサールをしていた父は一九三八年に逮捕。一九四一年、コルィマの収容所にて死去。一九五六年、名誉回復。

 ジョレス・メドヴェージェフ

 有名な生化学者・老人病学者にして歴史家。
一九四三年二月、ソヴィエト陸軍に召集。一兵卒としてタマン戦線[クリミヤ半島ケルチの対岸の地]での軍事行動に参加。負傷して除隊。
 一九四四年から一九五〇年、チミリャーゼフ記念モスクワ農業アカデミー農芸化学部卒業。修士号を取り、農芸化学・生化学講座研究員。一九六三年から一九六九年、オブニンスクの医学アカデミー放射線医学研究所分子放射線生物学研究所長。国外で『ルィセンコ学説の興亡』[金子不二夫訳、河出書房新社、一九七一年]を出版した廉で解任。一九七〇年から一九七二年、ボロフスクの農業用家畜の生理学・生化学研究所上級研究員。
 一九七三年イギリスへの研究出張中にソ連国籍を剥奪。一九七三年から一九九一年ロンドンの国立医学研究所遺伝学部研究員。一九八〇年、イギリス国籍を取得。一九九〇年、ソ連国籍も回復。

生化学・生物学関係の著書一五冊。それ以外に、科学史・ソ連邦史の著書もあり、一九五七年のウラルの核事故、チェルノブイリの事故にかんする著書。このうち幾つかは翻訳されヨーロッパの多くの国や日本で出版されている。
一九九二年以降、年金生活に入り、主に、ロシア国内で、自由な研究活動・著作活動を続けている。


 ロイ・メドヴェージェフ

一九四三年二月、ソヴィエト陸軍に召集、一九四五年まで、ザカフカス戦線の部隊で勤務。一九四六年から一九五一年、レニングラード大学哲学学部に学ぶ。一九五一年から一九五七年、村の学校の歴史教師・校長。一九五六年、ソ連共産党に入党。一九六九年、スターリン論『歴史の審判』[石堂清倫訳『共産主義とは何か』、三一書房、上巻一九七三年、下巻一九七四年]で、党を除名。一九八九年、復党。一九五七年から一九七一年、出版社「啓蒙」に勤務。その後、教育アカデミーへ。

一九六五年以来、人権擁護運動に参加。雑誌『政治日誌』(No.1-170、一九六四年-一九七〇年)、『二〇世紀』(No.1-3、一九七六年-一九七七年)編集長。
一九七一年以降、フリーの学者として、歴史、教育学、社会学、文学、哲学にかんする著書・論文を執筆。三〇冊以上の著書があり、そのうちの大部分は一四カ国語に翻訳され、二〇カ国で出版されている。最も著名な作品は、『社会主義と民主主義』、『スターリンとスターリン主義』[石堂清倫訳、三一書房、一九八〇年]、『フルシチョフ』、『知られざるアンドロポフ』、『彼らはスターリンを包囲した』、『一〇月革命』[石井親衛訳、未来社、一九八九年]。このうち何冊はジョレスとの共著。
一九八九年から一九九一年、ソ連人民代議員、ソ連共産党中央委員。一九九一年以降、ロシア連邦勤労者社会主義党共同議長。現在、社会・政治活動のかたわら、文筆活動も継続している。
                      (モスクワ「人権」社・編集部作成)

『知られざるスターリン』(ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ著、久保英雄訳、現代思潮新社、2003年3月)


(別表)ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ/Zhores & Roy Medvedev兄弟の主要科学論争・歴史・政治史・核問題関係の著作活動年表
 

  ロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―
佐々木 洋、アリーナ2015 第18号、発行: 中部大学、 発売:風媒社(2015年11月20日)より。

(下の表ををクリックしてください。PDFファイルにリンクしています)




バナースペース


 

佐々木 洋(ささき・よう)
◇札幌学院大学名誉教授

◎1969年、北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。研究業績は『札幌学院大学経済論集』四号(筆者退職記念号)、2012年、所収の業績一覧を参照。
◎定年退職後は、①ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ兄弟の研究、②原子力安全神話の謎の歴史の研究、③世界最大級ウォルマートを前衛とする「小売革命」の研究、に従事。   
①の最近の仕事はロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―付表」付表を参照。
②は詳細な年表付の拙稿「日本人はなぜ、地震常習列島」の海浜に【原発銀座】を設営したか? ――三・一一原発震災に至る原子力開発の内外略史試作年表」前掲『札幌学院大学経済論集』四号「広島、長埼、ウラル、チェルノブイリ、福島―歴史に刻まれた国際原子力村の相互支援」中部大学『アリーナ』17号、を参照。
③は、2014年、ネルソン・リクテンスタイン著 The Retail Revolution, 2009の拙訳書『ウォルマートはなぜ、世界最強企業になれたのか」を金曜日社から出版した。