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『回想1925-2010』   

CEO


ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ (著),
佐々木洋、天野尚樹 (翻訳)


出版社: 現代思潮新社

2012年11月25日

A5版
定価 本体4,200円+税





◇著者略歴


メドヴェージェフ・ジョレス
1925年生まれ。生化学・加齢学・政治史研究家。1969年に『ルイセンコ学説の興亡』(邦訳、河出書房新社、1971年)の発刊でオブニンスクの放射線医学研究所分子生物学研究室長を解任される。1973年イギリスへの出張中にソ連国籍を剥奪されるが、1990年ソ連国籍回復

メドヴェージェフ・ロイ
1925年生まれ。歴史家・政治家

佐々木洋
1942年静岡県生まれ。北海道大学大学院農学研究科修了。現在は札幌学院大学名誉教授・同大学総合研究所客員研究員

天野尚樹
1974年福島県生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。北海道情報大学講師。専門はロシア極東近現代史

◆『回想 1925-2010』を手にする著者ロイ・メドヴェージェフ氏

出来たばかりの『回想 1925-2010』を手にする著者ロイ・メドヴェージェフ氏 

2012年11月 モスクワ

http://www.gendaishicho.co.jp/news/n5481.html

△現代思潮新社のHPより。


佐々木洋:メドヴェージェフ兄弟による「原子力収容所Atomic Gulag」認識の舞台裏
                    (PDF版)
  


藤女子大学人間生活学部紀要,第50号:11-24.平成25年. The Bulletin of The Faculty of Human Life Sciences,Fuji Women’s University,No.50:11-24.2013.



佐々木洋:紹介文・『回想1925-2010』   

 ▽佐々木洋氏が『北海道新聞』(2013年3月8日)で『回想1925-2010』を紹介。

 
  △クリックして下さい(PDF版で拡大して読めます)。

 ◇目 次

 日本語版へのまえがき ロイ  
 第一部 幼年期と青年期 1925―1953   
  第一章 両親の思い出(ジョレス一九六九〜七二年稿/ロイ一九八八年稿)   
  第二章 危険な仕事(ジョレス)  
   一 クバンの大地
   二 生物学か、医学か、それとも農学か?  
   三 トロフィム・デニーソヴィチ・ルイセンコ  
   四 ピョートル・ミハイロヴィチ・ジュコフスキー
   五 ニキーツキー植物園
   六 八月クーデター
   七 変わり果てたわが農科大学
   八 生物学博士候補  
  おわりに
 
 第二部 ソ連邦から新生ロシアへ 1953―2010  
  第三章 作家の思い出  
   一 ソルジェニーツィンとのオブニンスクでの最初の出会い(ジョレス)
   二 コンスタンチン・シーモノフ(ロイ、一九九八年、二〇〇一年稿)
   三 イリヤ・エレンブルグとの三つの出会い(ロイ、二〇〇四年稿)
   四 ユーリー・トリーフォノフの思い出(ロイ)
   五 アレクサンドル・トヴァルドフスキーとの出会いと対話(ロイ、一九九〇年、二〇〇四年稿)
   六 ミハイル・ロンムと彼の語り(ロイ)
     私たちの写真
  第四章 作家の探求(ロイ二〇〇二年稿)  
   一 異論派文学の歴史から
   二 アブラム・テルツとニコライ・アルジャクの謎
   三 レン・カルピンスキーの生涯から
   四 「D」著『「静かなるドン」という急流』について
   五 七〇年代の匿名出版
   六 レフ・ティモフェーエフのこと
  第五章 異論派の思い出(ロイ)   
   一 サハロフとの出会い
   二 『政治日誌』創刊のこと(一九七六年稿)
   三 ソ連の異論派、今日と三十年前(一九九七年稿)
   四 書かれざる自伝の序文
   五 わたしはこの国の誰の代弁者なのか(一九七八年、一九八〇年、一九八二年稿)
  第六章 仕事の方法(ロイ)  
   一 ウラジーミル・ヤドフ八十歳によせて
   二 ドナルド・マクレインとの出会い
   三 仕事の方法(一九八九年稿)
 第三部 日本語版への補遺   
  終章 逆説と驚きに満ちた国、日本(ジョレス、二〇一一年稿)   
   一 ゴルバチョフと日本
   二 未解決の問題
   三 政治、加齢学から農業へ
  四 ふたたび、クリル諸島について

 解 題 「収容所群島=原子力収容所Atomic Gulag」を炙り出した一卵性双生児の人間形成  佐々木洋  
   一 『打ちのめされるようなすごい本』の舞台裏
   二 原著テクストと『回想』日本語版との異同
   三 本『回想』の各部論考の行間にあるもの
   四 目をそむけない生き方
   五 結びに代えて
 主要登場人物



  ◇内容説明

 ソ連反体制派ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ兄弟の回想。
 父親をスターリンによって奪われた幼少時代から今日までの85年の思い出を綴る。

 生化学者ジョレスと歴史学者ロイは、スターリン体制の病弊および学問研究への党による政治支配に抗議。告発の書によって、兄ジョレスは精神病院に幽閉・海外出張中に国籍を剥奪される。弟ロイは共産党を除名されKGBの監視下で自宅軟禁……。しかし二人とも旺盛な執筆活動をつづけ、国内では出版できないがゆえにアメリカをはじめ諸外国では多数の書物が翻訳出版されて二人の業績があまねく知られることになる。
 日本でも70年代に翻訳されたロイ著『共産主義とは何か』は、旧ソ連における反スターリン主義の思想として驚愕をもって迎えられた。他方、ジョレスもスターリン主義の党による生物学の学説・教育の支配という異常な事態を告発した『ルイセンコ学説の興亡』。そして兵器としての核爆発ではない核惨事の分析と警告をした『ウラルの核惨事』は、出版された当時はジョレスの観念の世界の空想とされていたが、今や「3・11」のフクシマ原発事故を眼前にして、すでに30数年前にジョレスによって現実的かつ実証的な分析と地球的規模の警告をしていたことに驚かされる。
 国内では地下出版(サミズダート)をつづけ、他の異論派との交流をつくりだす。とりわけ地下出版されたロイやジョレスの本を読んで感動したサハロフ、精神病院に幽閉されたときに抗議行動をしたソルジェニーツィンたち、また科学者・歴史家として多くの作家・科学者・芸術家とジャンルを超えた交流の記録も瑞々しく語られる。
 87歳を迎える二人は、今なお執筆活動を続けている。



書評:『回想1925-2010』   




『週刊金曜日』(3月15日号)が『回想1925-2010』の書評を掲載 - 2013.03.15

 
 △クリックして下さい(PDF版で拡大して読めます)。


『読書人』(2月8日号)が『回想 1925-2010』の書評を掲載 - 2013.02.07
 
 
 △クリックして下さい(PDF版で拡大して読めます)。

二〇世紀ソ連・ロシアを生きぬいたメドヴェージェフ兄弟の類まれな回想録、──文学的香気に満ちたまことに魅力的な歴史ドキュメント、評者:高田広行(西洋史研究)

 ジョレスとロイのメドヴェージェフ兄弟については、贅言を要しないだろう。ジョレスは『ルイセンコ学説の興亡』や『ウラルの核惨事』で知られる生化学者であり、ロイはソ連の内部からスターリニズムの構造を分析し、世界に衝撃を与えた『歴史の審判にむけて』(邦訳書名『共産主義とは何か』)の著者として広く知られる。本書は二人の手になる回想録であり、ソ連・ロシアの同時代史である。

 一九二五年生まれの一卵性双生児である二人の半生は、言論の自由を守り実践する歩みであり、スターリニズムとの闘いの歴史であった。赤軍軍政アカデミーの哲学講師だった父親は、スターリンの大テロル渦中の一九三八年に逮捕され、モスクワのブトゥイルカ監獄で長期にわたって拷問を受けたあと、極東のコルィマのラーゲリ送りとなり、死亡した。母と二人の子は宿舎を追われ、転々とした後ようやくロストフ・ナ・ドヌーに身を寄せたが、独ソ戦でトビリシへの避難を余儀なくされる。こうした経験は、のちに六〇年代以降に異論派と呼ばれる一群の人びと、ソ連内で言論の自由や民主化を求める運動の担い手となる人びとに共通するものであった。粛清と戦争、そしてスターリン死後、五六年にフルシチョフが行なったスターリン批判が、彼らソヴェト新世代の人生を決定づけたのである。

 メドヴェージェフ兄弟はソルジェニーツィンやサハロフとならんで、異論派を代表する人物として知られるが、本書の魅力の一つは、実に多様な異論派たちの姿を紹介したことであり、異論派の諸相を直に知る当事者、メドヴェージェフ兄弟の思想と行動の書であるという点だ。兄弟のうちロイはソ連共産党員であり、ソ連の民主化を追求しながら、異論派のなかでも西欧派と呼ばれるサハロフや、スラヴ派のソルジェニーツィンらとは考えを異にした。本書に記述のあるとおり、ソルジェニーツィンやサハロフをはじめ異論派の多くが、立場や視点を急激に変えていったのに対して、メドヴェージェフ兄弟の姿勢は変わらなかった。変わらないがゆえに、スターリン主義者からだけでなく、異論派からも批判や非難、中傷まで受け続けた。

 ロイ・メドヴェージェフは『歴史の審判にむけて』で、スターリン批判後のソ連内外の社会主義運動に大きな影響を及ぼしたが、急進的な革命ではなく漸進的な進化を支持する点で、のちの八〇年代の党内改革派のペレストロイカに近い考えをいちはやく切り拓いた。ジョレスは非党員であり、党を除名されたのちも国外にとどまり続けたロイとは違って、亡命を強いられた。異なる道のりを歩んだ二人だが、ともに言論や学問、表現の自由のために闘った点では共通し一貫していた。二人の連名で数多くの問題提起の書を世に問うてきたことも頷ける。本書はそんな一貫した二人の半生の証なのだ。
 本書の白眉は何といっても、コンスタンチン・シーモノフ、イリヤ・エレンブルグ、ユーリー・トリーフォノフ、アレクサンドル・トヴァルドフスキーらとの思い出をしるした部分であろう。ロイの手になるものだが、作家たちとの実際の交流をとおして人物像を描く筆致には敬意があふれ、視点は確かで迫真的である。知られざる六〇年代、七〇年代のソヴェト文学・出版史の証言としても、まことに興味深い。

 ロイ・メドヴェージェフは、ラーゲリ体験記『険しい隘路』で知られるエヴゲーニヤ・ギンズブルグとの交友をとおして、元ゼーク(ラーゲリの囚人)や作家たちと知り合った。ときは六〇年代初め、「雪どけ」機運のなかで、スターリン体制の岩盤の下から新たな文学が叢生した時代のことである。シーモノフやエレンブルグ、トヴァルドフスキーといったソヴェト文学界の大家と知遇を得たきっかけは、ロイの『歴史の審判にむけて』だった。誰しもがこの作品の威力に圧倒され、ロイとの会見を求めた様子が本書からうかがえる。

 スターリンへの尊崇の念をもち続けたエレンブルグの姿、「雪どけ」時代を代表する雑誌「ノーヴィ・ミール」の編集長トヴァルドフスキーの自立的な姿など、本書の記述は類まれな人間洞察に満ちているが、とりわけトヴァルドフスキーに関する部分は、文学的香気に満ちた見事なものであり、「きわめて複雑な立場」にあって雑誌を守り続けた詩人トヴァルドフスキーの苦闘を伝える名文である。

 ソルジェニーツィンを後押しし、エレンブルグの回想録の連載を続けたトヴァルドフスキーは、編集長の仕事を新しい文学、ソ連の文化全体を発展させる役割と自認した。「凍てつき」時代の揺り戻しのなかで、文学官僚の罵詈雑言に立ち向かいながら、新しいソヴェト文学の拠点を守ろうとした。メドヴェージェフはこう書く。「このような状況のなかでトヴァルドフスキーが考えたことは、種々の政治的・反体制的活動に直接関わらなくても、自分と雑誌は、自らの社会的・文学的使命を果たすことができるはずだということである」。

 また本書で注目されるのは、『川岸の館』で知られる作家トリーフォノフの姿である。亡命文学でもソヴェトの体制的文学でもない、「中間文学」などと呼ばれたトリーフォノフ文学の評価がいかに皮相なものか。安易なレッテル貼りではなく、錯綜する現実をソ連の内側から記録する視点は、ロイの次の記述によく表れている。「トリーフォノフは次のことを深く確信していた。ただ亡命先の国でだけ、しかも誰も知らない国で出版される多くの良書より、ソ連国内で成功裏に出版される誠実な書物のほうがわが国の大衆と文化にとってはるかに有益なのだ、と」。そして彼はこう続けている。「わたしは亡命しようと思わなかったが、自分の著作はただ外国においてしか出版できなかった。それぞれの人物にはそれぞれの真実がある。国内に止まり続けたヴラジーミル・ヴィソツキーにも、亡命したアクサンドル・ガーリチにも」。

 イデオロギー対立、敵対、抗争に明け暮れた二〇世紀ソ連にあって、醒めた眼でそれぞれの真実を凝視する。この困難な課題に取り組み続けたメドヴェージェフ兄弟の変わらぬ姿勢ゆえに、本書はたんなる回想録にとどまらず、まことに魅力ある歴史ドキュメントに仕上がっている。
(西洋史研究)

 出所:『図書新聞』
  

http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_3110_2-1.html

1949年創刊。硬派な人文書からホットなサブカルチャーまで紹介する週刊の書評新聞「図書新聞」とe−honのコラボ企画!

◆書評・木村英亮(横浜国立大学名誉教授)、ソ連の作家と研究者との出会いと対話、「日本とユーラシア」、ユーラシア協会、1430号、2013年3月15日。
 



バナースペース


 

佐々木 洋(ささき・よう)
◇札幌学院大学名誉教授

◎1969年、北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。研究業績は『札幌学院大学経済論集』四号(筆者退職記念号)、2012年、所収の業績一覧を参照。
◎定年退職後は、@ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ兄弟の研究、A原子力安全神話の謎の歴史の研究、B世界最大級ウォルマートを前衛とする「小売革命」の研究、に従事。   
@の最近の仕事はロシア革命一世紀を生きぬく視角―『ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ選集』日本語版刊行によせて―付表」付表を参照。
Aは詳細な年表付の拙稿「日本人はなぜ、地震常習列島」の海浜に【原発銀座】を設営したか? ――三・一一原発震災に至る原子力開発の内外略史試作年表」前掲『札幌学院大学経済論集』四号「広島、長埼、ウラル、チェルノブイリ、福島―歴史に刻まれた国際原子力村の相互支援」中部大学『アリーナ』17号、を参照。
Bは、2014年、ネルソン・リクテンスタイン著 The Retail Revolution, 2009の拙訳書『ウォルマートはなぜ、世界最強企業になれたのか」を金曜日社から出版した。