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戦後と現代をつなげるさまざまな事実・事件と社会運動史的分析を探求。

2014年10月15日 UP

ようこそ“知っておきたい「現代政治・戦後史」”ページへ

あなたは「ベトコン」を知っていますか? アメリカが唯一敗北した「ベトナム反戦」は? 「イールズ闘争」は? 「白鳥事件」は? 「ハンガリー事件」って? 「総評・社会党」はなぜなくなったのか? 第9条はなぜ生存権の基本なのか? 安倍内閣の野望は? 沖縄のたたかいは!
ほとんどマスコミなどで伝えられていない、情報と諸事実も伝えたい。(編集子)

information   五十嵐仁の現代政治論新着情報

2017年04月17日
市民と野党の共闘でアベ政治の流れをかえよう! 、川崎区革新懇の「11.2講演と交流のつどい」記録集
2017年01月07日
アメリカ大統領選挙でのトランプ当選をどう見るか 、『はちおうじ革新懇話会』、第72号、2016年12月25日付
2016年10月11日
参院選の結果と今後の政治課題―参院選の歴史的意義、どう発展させていくか、都知事選惨敗結果もふまえて考える、社会主義協会『研究資料』No.26、2016年9月号。[8月13日に行われた講演の記録です]。  
2016年09月24日
「手のひら返し」の「壊憲」暴走を許さない――参院選の結果と憲法運動の課題、憲法会議の『憲法運動』』2016年9月号
2016年08月15日
「政治を変える」ことと労働組合――参院選の結果をふまえて 
2016年07月11日
現代の多様な社会運動の意味
2016年03月31日
国民連合政府を考える 戦争法廃止への道すじ
2016年01月26日
八王子市長選挙の結果について――五十嵐仁の転成仁語
2016年01月10日
12月24日(木)八王子市長選挙に向けて事実上の「第一声」 を挙げた [選挙]
2015年12月18日
国民のたたかい―それを受け継ぐことが、私たちの務め、学習の友別冊『戦後70年と憲法・民主主義・安保』、2015年9月号、学習の友社、2015年8月18日
2015年12月18日
戦争法案強行採決と国民のたたかい、『治安維持法と現代』No.30、2015年秋季号
2015年11月22日
「民主主義の目覚まし時計」が鳴っている―戦争法案反対で高揚する国民運動をどう見るか
2015年11月22日
第3次安倍改造内閣―新3本の矢で目くらまし 新「富国強兵」政策を画策
2015年11月22日
戦争法案とのたたかいと政治変革の展望
2015年11月22日
自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか
以下の論攷は「次のページへ」
2015年08月29日
戦争法案の準備とともに進められてきた既成事実化の数々
2015年08月27日
10万人国会包囲と100万人大行動こそ「革命」の始まりだ
2015年07月15日
「戦争法案」の衆院特別委員会での強行採決を糾弾する
2015年07月03日
平和な国を次の世代に手渡せるかどうかが問われている、『明るい長房』第149号、2015年6月1日付
2015年05月30日
安倍政権「戦争法制」を問う、『ひろばユニオン』2015年5月号
2015年05月30日
戦争立法の全貌を解明する、『東京革新懇ニュース』第402号、2015年5月5日号
2015年05月30日
安倍政権の戦争立法の内容と問題点、消費税をなくす全国の会が発行する『ノー消費税』第285号、2015年5月
2015年05月30日
暴走を阻止する平和運動の課題、『婦民新聞』第1488号、2015年4月10日号
2015年05月30日
安倍政権と対決し打倒するためには力を合わせるしかない、「新たな社会像と人々の連帯・共同を探る 連帯・共同21」
2015年03月09日
『対決 安倍政権―暴走阻止のために』、五十嵐仁著、学習の友社(はじめに、+目次)
2015年03月09日
過激派組織「イスラム国」(IS)の人質事件と安倍首相の対応について、『明るい長房』第146号、2015年3月1日付
2015年03月09日
総選挙後の情勢と今後の展望『月刊全労連』No.217、2015年3月号
2015年02月28日
「改革」の失敗がもたらした政治の劣化と右傾化、『学習の友』No.739、2015年3月号
2015年02月28日
府中革新懇30周年へのお祝いメッセージ―このメッセージは、東京革新懇代表世話人として送ったもの
2015年02月28日
首相の対応検討し責任を明らかに―このインタビュー記事は『東京民報』第1875号、2015年2月8日付
2015年02月28日
2014年総選挙と今後の展望、東京土建『建設労働のひろば』No.93、2015年1月号
2015年02月28日
2014年総選挙の結果をどう見るか、『学習の友』No.783、2015年2月号
2015年01月09日
革新懇運動への期待と注文
2015年01月09日
「誇って良い青春」と「歴史による検証」
2015年01月09日
2014年総選挙の結果をどう見るか ――そのつづき
                 (以下の赤い日付は「五十嵐仁の転成仁語」掲載日)

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市民と野党の共闘でアベ政治の流れをかえよう!
  (2017年2月17日〜2月19日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
      〔〔以下の講演要旨は、川崎区革新懇の「11.2講演と交流のつどい」記録集に掲載されたものです。〕
 
   

 
  みなさんは6月に再スタートを切られたという。いよいよ革新懇の出番が来たわけだから、絶好のタイミングで再開されたことになる。

 参院選の二つの側面―与党の勝利と共闘の勝利

 野党共闘の必要性についてはずっと以前から主張していたが、ようやくこの参院で共闘が実現した。32ある1人区で統一候補が擁立され、11人を当選させるという成果を上げた。これまで目標としてきた革新統一に向けた動きがようやくスタートを切った。新たな段階が始まったのだ。
 去年の今頃は、安保法が通ってみんながっかりしていた。その後、2000万署名が提起され、共産党が安保法廃止の国民連合政府を提起したけれど、それがどういう形になるのかだれも予想できなかった。それから1年経った。今では、これがどういう形をとるのかがはっきりと我々の目に映るようになっている。これが参院選の成果だ。
 確かに参院選で与党は勝った。改憲勢力も3分の2を越えるという結果になったけれど、他方で野党共闘の威力が示された。市民と野党が力を合わせれば新しい政治をひらくことができることが具体的な姿を持って証明された。これが参院選のもう一つの側面であり、ここに活路がある。
 さらにその後、大きな成果に結びついた。新潟知事選で原発の再稼働に反対だという米山さんが当選した。民進党が「自主投票」で迷走したにもかかわらず、市民と野党の統一候補として米山さんが告示日の6日前に、民進党を離党して立候補した。そして大差をつけて当選した。
 現地の人も言っていた。まさか当選するとは思わなかったと。しかし、途中から状況がどんどん変わっていった。これならいけるかもしれないということで当選。これが市民と野党共闘の力だ。
 共闘成立の背景には安保法案反対運動があった。闘いが始まった時、これを勝利させるためには野党が手を結ばなくてはいけないと言った。現代の「薩長連合」が必要だ。幕末に互いに殺しあった薩摩と長州が手を握って幕府を倒した。民進党と共産党は殺しあっているわけじゃない。手を結ぶことは十分に可能じゃないか。それを仲立ちする現代の坂本竜馬は皆さん、市民なんですと訴えた。
 去年は、こういう話をしていたけれど、それが野党共闘という形で現実のものになると、必ずしも確信していたわけじゃない。ところが、9月19日の安保法が通った日の午後に、共産党が国民連合政府を提唱した。とはいえ、この時は雲をつかむような話だった。
 その後、野党共闘に向けての協議が進み、今年に入って2月19日に「5党合意」が成立する。実は、沖縄がこの野党共闘の走りだった。それが本土でも実現した。その結果、自民党は参院選でたしかに勝ったかもしれないけど、それに対抗する形で野党共闘が大きな成果を上げた。1人区で議席増となって、我が故郷である新潟県の知事選での勝利に結びつく端緒をひらくことになった

 共闘のどこが画期的だったのか―「共産党を除く」が除かれた

 1970年代には社共共闘が成立していた。これは国政選挙ではなく自治体選挙だった。革新自治体を作るという目的で社会党と共産党が共闘した。しかし、国政選挙では沖縄を除いては実現しなかった。それが参院選で共産党をふくむ形で共闘が成立した。「共産党を除く」という壁が除かれた。これが今回の共闘での画期的な面だと言える。
 背景に何があったのか。安保法制定などのアベ暴走政治だ。原発を再稼働するとか、沖縄の米軍新基地建設を強行するとか、暴走に次ぐ暴走。TPPが臨時国会で問題になっているけれども、安くていかがわしい食料を輸入しようとしている。日本の農業が潰れてしまうかもしれない。この暴走に対して多くの国民・市民が危機感を高めた。これが野党共闘成立の背景だ。
 このようななかで出てきた「野党は共闘」という声が民進党を動かして5党合意に結びつく。その結果、1人区での統一候補擁立が進んだ。最後は5月31日だった。参院選の告示は6月22日だったから3週間ほど前にようやく1人区全部で統一候補が出揃ったことになる。
 いわば、今回の参院選での野党共闘はプレハブ造りのようなもの。突貫工事で緊急に作ったような共闘だった。それでもこれだけの効果を上げることができた。それがどれほどの威力を発揮できるのかが示されたのが新潟県知事選挙だった。


 どれほどの威力を生み出すのか―新潟県知事選の破壊力

 新潟県知事選では、当初、野党の候補がなかなか決まらなかった。ほとんど無風状態で森さん(自民党公明党候補・長岡市長)が当選しちゃうんじゃないかと心配していた。ところが、自民党や維新の党から立候補して落選経験のある米山さんが立候補した。米山さんの支持者だった自民の人、維新の人に加えて、今度は新たに共産党や社民党が加わり幅が広がった。  
 しかも、米山さんは人の話をよく聞いて柔軟にものを考える人で、変わるけれども誠実だ。弁護士であると同時に放射線関係の医者。原発事故で福島から隣の新潟県に避難してきている人もたくさんいる。柏崎刈羽原発をどうするのかということが選挙で大きな争点になったが、人ごとじゃない。新潟の人にとっては身近な問題だった。
 他方で、柏崎刈羽原発という世界最大出力の原発がある。そこで働いている人もたくさんいる。この人たちが原発推進の立場だ。しかも、その労働組合である電力総連が連合傘下の組合だということで民進党新潟県連の会長が野党共闘に強硬に反対したという。最後まで「うん」と言わなかった。結局、米山さんは、やむにやまれず民進党を離党して立候補することになったというわけだ。
 ところが原発問題が争点に浮上し、TPPの問題でも反対を表明する中で雰囲気が変わってくる。米山さんの選挙母体は、その前の参院選で当選した森裕子さんの選挙母体をそっくり引き継いだそうだ。本部長になったのが当選した森さんで生活の党。野党第1党の民進党が動かないから第2党の共産党が中心になった。宣伝カーも共産党の宣伝カーだったという。
 選挙戦の途中から雰囲気がどんどん変わっていく。それが民進党にも分ったのだろう。当選しそうだということで、「それは大変だ」と蓮舫さんがおっとり刀で応援に駆けつける。こういう形で急速に追い上げた。参院選の時は2200票の差だったのに今回は6万票の差になった。こんなに差がつくとは思わなかったと、現地の人は言っていたけれど、それほど運動の勢いがすごかった。
 米山さんは、最初は泉田路線継承で原発再稼働は慎重にという立場。それが、当選したら原発再稼働反対に変わった。どんどん態度が明確になっていく。言うことが進化していくわけだ。立場がはっきりしていって反自民。自民党と公明党は野党になり共産党と社民党は与党になった。少数与党で県政運営はなかなか難しいかもしれないけれど、立場は明確で県民の側に立つ県政が実現した。雨降って地固まる。良かったじゃないですか。

 新たな共同の展望―本格的に政権交代への準備を

 これからの新しい共闘の展望だが、本格的に政権交代への準備を始めなければならない。市民プラス野党による共闘を拡大して、これなら新しい市民の立場に立った政府を樹立することができるという希望を国民に与える。これが大切だ。今までのどの政権よりも良い政権ができるんだという夢を国民が持てなければ、支持してもらえない。
 参院選が終わった後に朝日新聞が世論調査を行った。安倍内閣を支持すると答えた回答で一番多い理由が「他よりもよさそうだ」で、46%と最高だ。それ以前の内閣があまりにも悪すぎたということだ。次に出てくる政権がもっとよいと思ってもらえれば、「他よりよさそう」という人たちに支持してもらえるのではないか。また、参院選で与党に入れたと答えた人たちに理由を聞いたら「野党に魅力がなかったから」が71%もある。この魅力を高めれば、これらの人々も野党支持に変わっていくんじゃないだろうか。
 そのためにどうするのか。主体的な力をつけなければならない。多様なつながりや信頼を大切にして発展させる。共闘をすすめる中で、政党や会派が違う人たちの間で新しい結びつきができてきた。今までは挨拶ぐらいしかしたことがない、そういう人たちがメールアドレスを交換したり、いろいろ相談したり、連絡をとったりという形で結びつきが深まってきた。
 私の住んでいる八王子には「ノーウオー八王子アクション」があった。安保法案反対運動のなかで、民主党や共産党、社民党などの共同が進み、その枠組みを大切にしたいと思って、私も市長選に立候補した。その過程でいろいろな結びつきができる。話してみると悪い奴じゃないと、理解が深まるし信頼関係も生まれる。これはものすごく大切だ。この財産をぜひ生かしてもらいたい。
 政策的な一致の幅を広げ、合意の水準を高めることも重要だ。安倍政治後の未来を示すものであってほしい。すでに参院選1人区で政策協定が結ばれ、通常国会の最終盤には15本の野党共同提案の法案などもある。大衆運動での一点共闘も拡大している。草の根から連合政権の土台づくりをしなければならない。メーデーなどでも、できればそれぞれの地域で異なる潮流が一緒にやる統一メーデーの実現に力を尽くしてほしい。

 政策的合意の拡大、臨時国会での共同―選挙区で統一候補擁立の準備

 野党共闘の核になるのは民進と共産の連携だ。市民からの要請と働きかけが鍵になる。今日の毎日新聞の夕刊に蓮舫さんのインタビューが掲載されている。「野党間の協議は続けます。選挙協力をするかしないか、100か0かの問題ではありません。地域事情を勘案して勝つことにこだわっていきます」と述べて、共闘はやると言っている。蓮舫さんの発言の中で、ポイントは「地域事情を勘案し」の部分だ。「地域事情」を、みなさんで作ってもらいたい。
 市民と野党とが一緒になって実質的な実りある共闘を生み出す。勝てる共闘を、それぞれの地域で実現するような動きを作っていけば良い。そうすれば、「沖縄方式」で勝てる。沖縄では4つある選挙区のそれぞれに野党が1人ずつ候補者を立てて全員当選したじゃありませんか。同じようなことを神奈川県でもやればいい。そのための「神奈川の地域事情」をつくり出してもらいたい。
 もし、じゃまされそうになったら、「これが神奈川の地域事情」だと民進党のトップに言えばいい。地域事情を勘案してやるって言っているわけですから。「民進党に欠けているのは信頼。そこが決定的に欠けている。政権の座に就いた旧民主党から裏切られたという人々の感情はいまだに収まりません」。彼女はこう答えている。ならば信頼を積み上げるしかない。そのためには約束を守ることが大切だ。共闘はするという約束についても守ってもらいたい。
 共産党が一方的に候補者を取り下げるという形ではなく、きちんとしたバーターで候補者調整を行う。そして一本化する。こういう風にすればさらに大きな力を発揮することができるだろう。北海道新聞の試算では、衆院選で参院選と同じ共闘が実現すれば野党の10勝2敗になるという。時事通信の試算では、前回の総選挙でも野党4党の得票を合算すれば47選挙区で逆転する。自公は3分の2を割るとされている。自民党の下村幹事長が若手の議員を集めて開いた会議で、野党が一本化すれば前回より86議席減る可能性があるとはっぱをかけた。
 通常国会冒頭解散とかいろいろなことが言われているが、「やれるもんなら、やってみろ」と言えるような準備を進めていけばいい。解散・総選挙をしたら必ず自民党が減ると思われるような状況を作れば、そう簡単に解散・総選挙はできなくなる。今からでも、総選挙がいつになっても闘えるような準備をすることが重要だ。

 むすびに

 そのために私たち一人ひとりに何ができるのか。皆さんが戦後営々と築いてきた、平和で民主的で自由な日本が安倍さんにぶっ壊されないように守らなければならない。そしてそれを、子どもたちや孫に、次の世代に手渡すことが、今を生きている私たちの責務ではないのか。
 そのためには事実を知り、周りの人々にも知らせなければならない。知って学び、情報を発信して正しい事実を伝えていく。そのような努力をしなければならない。
 私と同世代以上の人たちに対しては、「シニアレフト」になろうと呼びかけたい。「シニア」とは高齢者、レフトは「左翼」。左翼じゃなくてもいいけれど、安倍さんにまともな世の中をぶっ壊されないように守ろうとする人々。そして次の世代に手渡すことが大切だ。
 そのためには様々な運動に参加する。「運動は体にいい」と言うから。社会運動の中で体を鍛える。国会前に行って大きな声で叫んでストレス解消。川崎の町を行進することで足腰を鍛える。こういう形で元気になったお年寄りがたくさんいる。
 これなら次の世代に手渡すことができるというまともな世の中にしてから、安んじて「お迎え」を待つというのが望ましい「シニアレフト」の生き方ではないだろうか。それまでは元気でたたかう。少なくとも、安倍さんより先には倒れない。
 このことを強調して、話を終わらせていただきます。少なくとも、私はそうありたいと考えております。共に頑張りましょう。



アメリカ大統領選挙でのトランプ当選をどう見るか
  (2017年1月4日〜1月5日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
       〔以下の論攷は、2016年12月25日付の『はちおうじ革新懇話会』、第72号に掲載されたものです。〕
 
   

 
 予想外の結果だったと言って良いでしょう。アメリカ大統領選挙でのトランプ候補の当選です。来年の1月20日にはトランプ政権が発足しますが、それがどのような政権になるのか、いま世界は固唾を飲んで見守っている状況です。

   ***
 
 トランプ候補が当選したのは、グローバリズムと金融資本主義を背景とした新自由主義や緊縮政策などによって貧困と格差が拡大したためだと見られています。トランプ現象は一種のポピュリズム(大衆迎合主義)にほかなりませんが、既成政治の外から人々の不満や要求をすくい上げて政治に届ける回路の一つでもあります。過激な発言や嘘とデマも散りばめながら、それまでのアメリカ政治に失望した人々の期待をかき集めた結果だったとも言えるでしょう。
 逆に、クリントン候補の敗因は、元大統領夫人で上院議員や国務長官も務めた既成政治家のエリートだったという点にあります。しかも、女性初の大統領としての期待は高いものでしたが、女性であるが故の「ガラスの天井」にはじき返されたという面もあったでしょう。そのうえ、「チェンジ」を掲げて大統領になったにもかかわらず現状を打破できず、「チェンジチェンジ詐欺」などと非難されているオバマ大統領の後継者だったのも不利に働いたように見えます。
 それにもかかわらず、得票総数ではクリントン候補の方が200万票も多かったという事実は重要です。実は多数派であったのに選挙で負けてしまったのは、選挙制度の不備というしかありません。当選するのは得票数の多い候補者ではなく、それによって州ごとに選ばれた選挙人の多い候補者であるという間接選挙の問題点が、ここにはっきりと示されています。このようなカラクリが小選挙区制でもっと大きな規模で生ずることは、皆さんご存知の通りです。

   ***
 
 当選後は「国民すべての大統領なる」と言って過激な言動を控えたため、「良いトランプに変わったのではないか」との見方が広まりました。訪米して私的な会見を行った安倍首相も「信頼できる指導者」だと請合いました。しかし、その「化けの皮」は直ぐにはがれ、安倍首相はトランプの「手品」の「サクラ」として利用された形となって世界中に恥をさらしています。
 トランプ新政権の陣容は共和党主流派と極右との連立であり、差別主義者やタカ派、財界人や富豪、元軍人のオンパレードとなっています。このような陣容の政府がどのような政策を打ち出すことになるのでしょうか。世界は大きな危惧と不安を抱きながら注目しています。
 日本に対しては、TPP条約からの離脱の言明や在日米軍の撤退可能性への言及などが注目されました。国会ではTPP条約が成立しましたが、アメリカの離脱で全く無意味になっています。
 在日米軍の経費を全額負担しなければ出ていくというのなら、出て行ってもらえばいいじゃありませんか。そうすれば、平和と安全の実現を軍事力によってではなく、周辺諸国との関係改善と友好親善の強化、つまり非軍事的な外交手段による安全保障という新しい「自主防衛」に向けてのチャンスが生まれることでしょう。

  ***
 
 こうして、日本と同様にアメリカでも、アクセルばかりでブレーキなしの「暴走車」が登場することになりました。日本では夏の参院選の結果、衆参両院で自民党が過半数を占めています。アメリカでも大統領選挙と同時に実施された上下両院議員選挙によって共和党が多数になっています。
 しかも、「運転手」はどちらも「右にしかハンドルが切れない」極右の指導者です。太平洋を挟んだ日米両国で容易ならざる事態が生まれたことになります。それへの警戒や反発もあって、アメリカ国内では反トランプ・デモが起きました。
 他方、ヨーロッパでは極右の動きが強まり、影響力が拡大しています。最近のイタリアの国民投票では極右の「五つ星運動」の躍進もあって憲法改正案が否決され、レンツィー首相が辞任しています。また、オーストリアの大統領選挙では、リベラルな緑の党出身のファン・デア・ベレン候補が当選したものの、自由党のホーファー候補も48・3%を獲得して、極右勢力が政権の座を狙えるほどの支持を拡大していることが明らかになりました。
        

   ***
 
 しかし、これらは世界で生じている政治現象の表層にすぎません。その底流ではグローバリズムと新自由主義、緊縮政策、独裁や差別主義などに反対する新たな運動が流れ出していることを見逃してはなりません。
 その予兆は、北アフリカでのアラブの春、アメリカでのオキュパイ運動、香港の雨傘革命、台湾でのひまわり学生運動などの新たな大衆運動によって示され、ヨーロッパでの反緊縮運動や韓国のパク・クネ大統領辞任要求の大規模集会などに受け継がれています。そこから、スペインのポデモス、イギリス労働党左派のコービン党首、アメリカでのサンダース現象、ドイツンの首都ベルリンでの社会民主党・左翼党・緑の党による左派3党連立市政実現などの新たな動きも生じました。
 今はまだ、過渡期にすぎないのです。しばらくの間、紆余曲折があり混乱は避けられません。そのようななかで、極右の台頭によって右への転落が選択されるのか、それとも左派による対抗と再生が生ずるのかかが争われることになるでしょう。
   
   

   ***
 
 その意味では、「せめぎあいの時代」の始まりだというべきかもしれません。この時代における私たちの課題は、一刻も早くこの過渡期・混乱期を抜け出すことです。そのために、平和への希望と未来への夢を語り合えるような脱出路を見出す必要があります。
 日本で発展しつつある市民と野党の共闘は、このような脱出路の探求にほかなりません。それは貧困や格差の是正と平和、民主主義を求める政治変革の動きとして、国際的な動向とも響きあうものになっています。
 その成否を決めるのは市民の力です。革新懇運動の発展によって市民の力を結集し、新しい局面を切り開こうではありませんか。そうすれば、来る2017年を平和で民主的な世界を生み出す希望の年とすることができるにちがいありません。


参院選の結果と今後の政治課題――参院選の歴史的意義、どう発展させていくか、都知事選惨敗結果もふまえて考える
  (9月28日〜10月2日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
       〔以下の論攷は、2016年8月13日に行われた講演の記録です。社会主義協会『研究資料』No.26、2016年9月号に掲載されました。〕 



  

   
   チャンスを生かせなかった

 今回の参議院選挙は、統一候補を中心に野党が勝利して戦争への道を阻止するチャンス、国の行く末・進路を左右する「天下分け目」の決戦だった。しかし、結果的には今までの選挙と変わらない自公勝利で終わった。都知事選も、今回は自民党が分裂し、逆に野党側は共闘して統一候補の擁立に成功し、絶好のチャンスだったが結果的には惨敗した。
 私は、参院選・都知事選がホップ・ステップとなって解散・総選挙でジャンプし、新しい政権をつくって戦争法を廃止するのだと言ってきた。しかし、それは幻に終わってしまった。解散・総選挙はまだだが、少なくとも前段は失敗し、十分にチャンスを生かすことができなかった。
 逆に、与党は参院選で勝利して改憲勢力が3分の2を超え、都知事選では自民党公認候補が敗れたものの自民党籍をもった小池百合子候補が当選するなど、容易ならざる時代が始まった。これまで以上に、警戒と覚悟が必要な事態が生まれたことになる。しかし、このような中でも新たな希望の光が見えた。この点を強調しておきたい。
 9条立憲に向けての活路は野党共闘の維持・発展しかない。戦争法廃止と憲法改悪阻止に向けての野党共闘、しかも野党だけでなく市民も積極的に加わり、市民+野党という新しい戦線が実現し、一定の成果を上げた。これを維持・発展させ、大きな力にして、より効果的に成果を出せるようにするためにはどのようにすべきかを、これから考えなければならない。これがこれからの一番大きな課題になる。
 法政大学大学院での私の修士論文のテーマは「コミンテルン初期における統一戦線政策の形成」で、ドイツ共産党を例に労働者農民政府についての研究をした。研究者生活の出発点でのテーマが統一戦線だったわけだが、そのときは歴史的な事実についての研究だった。いずれ将来、政治を変えることを具体的課題として実践する時代が来れば、そのような歴史研究も意味を持つのではないかと思って始めた。当時は、美濃部革新都政をはじめとしてさまざまな革新自治体が生まれ、社共共闘が成立していたからだが、やがてそのような初歩的な統一戦線も姿を消してしまった。
 このまま見果てぬ夢で、あの世に行くのかなぁと思っていたわけだが、昨年からの安保法制反対運動が広がって、戦争法廃止を実現するためには野党が協力しなければならないという声が高まった。こうして、野党が共闘して新しい政府をつくろうという動きも始まることになった。統一戦線政策の復活だ。
 私は、去年の5月ぐらいから民進党と共産党が手を結ぶ「民共合作」が必要だと言ってきた。民主党と共産党を中心にした連携・協力を、中国の「国共合作」になぞらえて「民共合作」と呼び、その形成を主張してきた。ところが、自民党が統一候補を「民共合作」だと批判するようになった。中国での国共合作は抗日戦争での勝利をもたらしたが、自民党はそういう歴史を知らないから、「野合」の意味で「民共合作」だと難癖をつけたわけだ。
 私は別の言い方もしてきた。現代の「薩長同盟」だと。明治維新では争っていた薩摩と長州の両藩が手を結んで日本の歴史を変えたんだと。民主党と共産党も手を結べば自公政権を倒せる。それを仲介した坂本龍馬の役割を果たすのが、市民の役割なのだと。
 このようななかで昨年9月19日、安保法が成立した日の午後に、共産党が「国民連合政府」の樹立を提唱した。今年に入って2月19日に「5党合意」が実現し、参院選では32ある1人区全部で統一候補が擁立された。「民共合作」や現代の「薩長同盟」と言っていたものの、こういう具合に野党共闘が進むとは思っていなかったから、歴史というものはこのようにして動くんだなと感慨深いものがあった。こうして、市民と野党とが連合して新しい政府をつくる展望が、具体的な政治転換の可能性を生み出す画期的な事態がこの参院選挙で芽生えたことになる。

   与党は勝ったが自民には陰り

 参院選の結果をどう見るかということだが、与党が勝ったことは明らかだ。安倍首相は選挙前に与党による改選議席の過半数である61議席確保を掲げていた。結果は、自民党56議席、公明党14議席で与党合計70議席となり大幅にクリアした。自民単独過半数に2不足だったが、無所属候補の追加公認と平野元復興相の入党で過半数を実現した。
 安倍首相は秘かに改憲発議が可能となる3分の2議席確保を狙っていたと思う。この目標も自公の議席だけでは及ばなかったが、おおさか維新の会と日本のこころを大切にする党、それに4人の無所属議員を含めて突破した。非常に危険な状況に至ったことは明らかだ。
 もともと自民党は歴史的に見れば下り坂に入っていた。12年衆院選294議席と13年参院選65議席がピークで、14年衆院選では2議席減となり今回の16年参院では9議席も減らしている。陰りが生じていたことになる。それなのに今回、なぜ自民党は転げ落ちずに、踏みとどまることができたのか。
 一つは、客観的な情勢が自民を有利にした。国民が安全保障面や生活の不安から安定を求めたのではないか。途上国経済の不透明化やイギリスのEU離脱などもあって世界経済がどうなるのかという不安感が増大した。アベノミクスは破綻しているが、安倍首相は「道半ばだ」と言い張ってこれからよくなると宣伝した。国民も、民主党政権の時代よりはましだと感じている。
 また、日本にはヨーロッパのような政権を揺さぶる難民問題がなかったのも、政権党に有利に働いた。ヨーロッパでは経済不安や移民問題がポピュリズムを生んで既成政党批判・政権批判を増大させた。アメリカでも国民の経済・生活不安がサンダース・トランプ現象を生み出している。それに、北朝鮮が参院選に合わせたようにミサイルの発射実験を繰り返し、それがネガティブキャンペーンに利用された。
 自民党の主体的な選挙戦術が功を奏した面もある。参院選でのキャンペーンは、選挙隠し、争点隠しで、「隠す、盗む、嘘をつく」の三つ。参院選が始まっているのにマスコミ報道は舛添東京都知事問題ばかり。参院選隠しだ。もともとの参院選の第一の争点は来年4月から10%に引き上げ予定だった消費税再増税問題だったが、これは延期することで争点からはずされた。本来、参院選の最大の争点であったはずの憲法改正問題についても、安倍首相は街頭演説でまったく触れず隠し通した。TPP問題や米軍基地問題などについても避け、不利な争点を隠した。しかし、隠しきれなかった東北や甲信越、沖縄で自民党は敗北している。
 さらに、野党の政策を盗むというやり方だ。同一労働同一賃金、介護士・保育士の待遇改善、給付型奨学金など、これまで野党が求めて運動してきた政策を盗んだ。アベノミクスについても平然と嘘をつく。白を黒と言いくるめる詐欺師の手法だった。しかし、マスコミがそれをバックアップして流れをつくった。
 公明党が改選議席を3議席増やしたのは定数増の恩恵で、愛知・兵庫・福岡で当選したが、比例代表は7議席で前回同様。得票数で4900票増やしただけだった。おおさか維新の健闘は18歳選挙権の恩恵だと考えられる。選挙前の世論調査では、民進4・0%、公明2・3%、共産1・9%に対しておおさか維新の会は2・5%あり、公明党よりも支持率が高かった。

   ついに見つけた新しい活路

 野党共闘は参院選前の「突貫工事」だったが、そのわりには上手くいったと言える。前回は1人区で野党系が勝ったのは2つだけで29敗していたのに対して、今回は11勝21敗へと9議席も増えた。秋田以外の東北・甲信越で勝利した。28選挙区で野党の比例区票の合計よりも選挙区票の合計の方が多くなり、山形選挙区では1・7倍、愛媛が1・66倍、長崎1・40倍、沖縄1・40倍、福井1・38倍、岡山1・36倍などとなっている。
 このうち、山形、沖縄では議席獲得に結びついた。26選挙区では前回よりも投票率がアップし、青森では9ポイントも上昇している。東北では、秋田の自民党候補が元プロ野球選手で一種のタレント候補が当選したが、それを除いて統一候補が勝った。甲信越の山梨、長野、新潟でも当選したが、統一候補でなかったらとても勝てなかった。福島と沖縄では現職大臣を落とすことができた。野党が統一したことで、各野党支持層に加えて政党支持なし層の関心を掘り起こし、票を上積みした。1+1が2以上になり、足し算以上に票が増大して共闘効果が発揮されている。
 民進党内には、共産党と共闘すると民進党支持者が離れるという意見があったが、実際には野党票の上積みとなり無党派票も引き寄せたことを証明している。野党共闘の最大の受益者は民進党だったのではないか。前回参院選1人区で野党が勝った2議席は、無所属の岩手と沖縄だけで、民主党の1人区当選者はゼロだった。今回は野党統一候補11人の当選者のうち、民進党公認は7人で大幅な議席獲得となった。比例区・選挙区を含めて32議席獲得した。民主党の前回参院選の当選議席は17だけだったし、その後も現在まで民進党の支持率は上がっていない。それが今回は大幅議席増で、しかも『朝日新聞』による予測(7月8日)よりも2議席多かった。
 今回の民進党の得票増は、民進党が野党共闘の中心だと見られ、その効果で選挙後半に党の勢いが高まったからだ。民進党単独で闘っていたら、こんな状況は生まれなかっただろう。民主党政権が期待を裏切ったという暗い過去を、新たに政治を切り開く野党共闘の中軸に座ることで一定程度払拭できたのではないか。北海道で2議席獲得し、東京でも小川敏夫候補が危ないと言われたが当選した。東京では、蓮舫候補の個人票もあるが民進党2人の得票数の方が自民党2人の得票数よりも多い。前回は惨憺たるものだったが、今回はそれを脱して上向いた。民進党内では共産党との共闘は是か否か、などと論争しているが、今回の参院選で野党共闘に助けられたことを忘れてはならない。
 もし野党共闘がなかったら民進党の議席は増えず、もっと自民党が圧勝するという悲惨な結果になっていたと思われる。それを一定程度押し止めたという面では大きな効果があった。このことをきちんと総括することが、今後の議論を進める前提だ。当選者数を見ても、投票率アップを見ても、得票増を見ても野党共闘の効果は歴然としている。この事実をきちんと見ておかなければならない。
 共産党は、改選議席3から6人当選と倍増し、比例票は86万票増の601万票で、1998年の820万票に次ぐ2番目の高い得票数となった。しかし、6議席に倍増したとはいえ、前回13年参院選の8議席には及ばず、完勝とは言えない。前回の参院選後の共産党の支持率増や今回の野党共闘の牽引などから見て、共産党はもう少し伸びると見られていたが、大阪や神奈川で取りこぼした。
 中国の南シナ海への海洋進出や北朝鮮のミサイル発射を利用した反共キャンペーン、自衛隊予算を「人殺しの予算」と呼んだ藤野発言などが影響したようだ。1人区での統一候補の勝利に向けて全力をあげたために、複数区に手が回らなかったということもあるだろう。これはそれなりの代償を払って野党共闘に取り組んだということであって悪いことではない。自党の躍進よりも野党共闘の成功を優先させたということを証明しているようなものだから。
 社民党は改選より1議席減だったが、前回同様1議席を確保した。比例票は28万票増えた。社民党は、小林節氏の「国民の怒りの声」のあおりを食ったのではないか。小林氏は比例区での当選をめざして「怒りの声」を立ち上げたが、失敗だったと言わざるをえない。選挙への関心を高めて投票率を上げたなら良かったのだが、そうはならず、「怒りの声」に投票した比例票は「死票」になってしまった。
 生活の党は比例で12万票得票を増やし、1議席を確保した。比例では議席を取れないと見られていたから、予想を覆す成果だった。しかも、野党統一候補で岩手と新潟で党籍のある候補が当選した。今回の野党共闘で民進党と共産党の仲を取り持ったのは小沢一郎氏で、共闘の実現に大きな役割を果たした。それが報われたのではないか。
  

   「危険水域」に入ったがすぐ「沈没」するわけではない

 改憲勢力が衆参ともに3分の2議席を突破して非常に危険な状態になった。しかし、「危険水域」に入ったからといって、すぐに「沈没」するわけではない。「舵取り」を上手にすれば、改憲を阻止することができる。3分の2とは言っても、その中身は一様ではないからだ。憲法のどこをどのように変えるのかを明確にしなければ話にならない。
 改憲勢力と言われている自民・公明・おおさか維新の会・日本のこころ・無所属は、「改憲」と「壊憲」が混在している。公明党は加憲で、9条には手をつけないと言っている。おおさか維新の会は道州制などを主張しているが、9条を変えるとは言っていない。
 「改憲」は統治ルールの変更だが、「壊憲」は文字どおり憲法を壊すことで、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という「憲法三大原理」の侵害を意味している。この両者を厳密に区別することが重要だ。憲法の理念を壊すこと、自由で民主的な平和国家という国の形を変えるような「壊憲」は許してはならない。
 改憲論の中には、改憲には賛成だが9条改憲には反対だ、安倍首相の下での改憲には反対だなど、様々なものがある。9条改憲論にも全く反対の意見がある。自衛隊が海外へ出て行くことができないように明記すべきだという意見は安倍改憲とは逆だ。「国防軍」化・「外征軍」化を可能にする「壊憲」と不可能にする「改憲」では正反対になる。
 これから臨時国会で憲法審査会が再開され改憲論議が始まるが、まず、現行憲法の原理・理念に抵触しないことを明らかにしてから議論を始めなければならない。「憲法の三大原理」の維持が大前提だ。憲法の原理や理念が形作っている国のあり方の基本を変えないことを前提にしなければ話にならない。野党は最初にこれを確認した上で、憲法審査会での議論に加わるべきだ。
 その際でも、自民党改憲草案の撤回が前提だ。自民党が2012年に出した改憲草案は「憲法の三大原理」を否定するもので、これは「改憲」ではなく「壊憲」に当たる。帝国憲法に押し戻そうとしているという批判があるが、私に言わせれば帝国憲法以下だ。伊藤博文でさえ憲法創設の精神について「第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」と述べていた。
 帝国憲法は近代憲法の枠に入っているが、自民党の改憲草案は立憲主義そのものを否定している。近代憲法原理を真っ向から否定する、憲法の名に値しない代物だ。こんなものを「たたき台」にしてはならない。軍部独裁の下での総力戦体制を憲法の条文にするとああいうものになる。軍部独裁、自民党独裁の「壊憲」草案だ。
 ドイツは戦後、何回も基本法(憲法)改正をやっているが、「闘う民主主義」という原理・原則には手をつけていない。それ以外の時代にあわせた微調整を行っているにすぎない。日本の「改憲」だって、そのようなものであれば問題にするには当たらない。現行憲法の原理や理念、安倍首相が良く言う「自由と民主主義、基本的人権の尊重、法の支配という共通の価値観」、自由で民主的な平和国家という国の形を変えないものであれば何も問題はない。
 最近の世論調査では、9条改憲は反対だという声が増えている。また、安倍首相による改憲はダメだという声も増えている。安倍首相は信用できないからだと。当然の感覚で、極めて正しい受け止め方だ。安倍首相がめざしているのは立憲主義の破壊であり、近代憲法原理の否定だ。このような「壊憲」は絶対にだめだという声を広げていかなければならない。
 野党は第一次安倍内閣で法務大臣をやった長勢甚遠(ながせじんえん)を除名せよと要求すべきだ。2012年5月10日に開かれた極右団体の「創生『日本』」の第3回東京研修会で、長勢元法相は主権在民、基本的人権、平和主義の三大原理全部をまとめて否定し、これをなくさないと日本は良くならないと主張している。元法相として、というより国会議員としての基本的な資質を欠いている。この研修会には安倍首相も稲田朋美現防衛大臣も出席し、長勢の発言に拍手を送っていた。これが安倍首相の本心であり、自民党の本音なのだ。

   都知事選挙で小池百合子が当選

 舛添前知事の辞任によって7月31日に都知事選が行なわれた。保守は自民党推薦の増田寛也候補と自民党籍の小池百合子候補に分裂し、野党は鳥越俊太郎候補に統一した。革新都政奪回の絶好のチャンスが生まれた。誰しも、これで勝てると思った。私もそう思ったが、結果は小池候補の圧勝となった。なぜか。
 小池候補は、バックに日本会議や在特会などが存在する超タカ派の核武装論者であり改憲論者で、カネの問題も取りざたされている。「グリーン」ではあっても、決して「クリーン」ではない候補者だった。それなのに、なぜ小池候補が勝てたのか。
 まず、小池候補の選挙戦術がうまくいったということがある。「小泉劇場」と同様の手法で、自民党との対決、苛められている女性というイメージをつくりだすことに成功した。最初は判官びいきによる支持を生み出し、後半は勝ち馬に乗ろうという流れをつくった。
 「グリーン・ポピュリズム」が席巻し、勝ったのは「女小泉」だった。ポピュリズムは、不安・欲望・情緒などに迎合して大衆を扇動・操作する手法で、アメリカやイギリス、フランスなど各国で広がっているが、有権者の不安感を焚き付けて大衆操作を行なう点に特徴がある。マスコミを利用してイメージ戦略を展開し、有利な情勢をつくりだしていくことに成功した。こういうポピュリズムの政治を警戒しなければならない。
 他方、鳥越候補側の敗因は、楽観論にあったのではないか。保守は分裂し、野党は統一した。しかも、候補者は著名なジャーナリストで知名度抜群。これ以上いい候補者はいないと受け取られた。鳥越さんが立候補を表明した時にはみんな喜んだ。鳥越さんにも自信があったのだろう。参院選の結果を見て危機感を募らせ立候補を決意したということだが、その参院選では長野で元TBSキャスターの杉尾秀哉候補が当選し、同じ日に投票された鹿児島県知事選では元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓候補が当選した。二人とも鳥越さんの後輩のジャーナリストだった。二人が当選できるなら自分もできる、と思ったにちがいない。
 それが油断につながった。宇都宮さんに会って仁義を切ったのは良かったが、もっと礼を尽くして政策を引き継ぎ、全面的な協力をお願いして共に選挙を闘ってほしいと最初から申し入れるべきだった。そうしなかったのは、それでも勝てるという自信があったからではないか。告示日の宣伝カーの上に鳥越さんと宇都宮さんの二人が揃っていたら、その後の情勢は大きく違っていただろう。
 しかも、年齢と健康の問題があり、政策でもつまずいた。がん検診100%が都政の第一の政策であるとか、都ではやれない消費税の引き下げを離島で約束するなど。女性問題でも対応がよくなかった。まったく説明しないで事実無根と言うだけだ。セクハラ問題を軽視したのではないか。これらを利用する形でマスコミがネガティブ・キャンペーンを流し、それに打ち勝てなかった。陣営内での結束の弱さもあり、宇都宮さんとの確執もマイナスに作用した。
 しかし、鳥越さんが立候補したことは評価したい。参院選で改憲勢力が3分の2に達したことに危機感を抱き、「人生の最期に後悔したくない」と76歳で立候補を決意した。市民+野党7党・会派がまとまって共闘が実現したのは鳥越さんだったからで、そちらの方が良いと思ったから宇都宮さんも辞退を決断した。
 この点では、共闘に向けて民進党をまとめた岡田執行部の指導性も評価したい。岡田代表でなかったら、統一できなかっただろう。83年の松岡英夫候補以来の統一候補となった。あの時は社共共闘だったが、社共だけでなく民進党や生活の党、生活者ネットも含めた野党全部がまとまることができたのは重要だ。
 しかし、この鳥越統一候補を民進党は推したが、連合東京は推さなかった。連合東京は自主投票で、労働組合が力を発揮できなかった。これがかなりのマイナス要因だった。ただし、前回、連合東京は舛添を推薦したから、今回、増田を推薦しないだけましだったかもしれない。
 朝日新聞社の出口調査では、民進支持層で鳥越候補に投票したのは56%にとどまり、28%が小池に投票した。共産支持層の19%も小池候補に投票している。増田候補は自民党だからダメだ、小池候補にしようという人もいたという。社民支持層、生活支持層の2割弱も小池に、4野党共闘の最大の援軍になるはずの無党派層も鳥越には19%だけで、ほぼ半分の51%が小池に投票した。経済問題を重視したのではないか。投票の際の選択肢は、政策や公約(32%)、クリーンさ(18%)で、経歴や実績は15%、支援する政党や団体は5%だけだった。 

   新たな共同の展望

 参院選で負け、絶好のチャンスと思われた都知事選でも負けて、戦争法廃止、憲法改悪阻止の闘いをどうしていくのか。次の闘いに向けた態勢をどうつくるかが問われている。これからの課題は、アベ政治のさらなる暴走に歯止めをかけながら、本格的に政権交代への準備を始めることであり、市民+野党による共同の拡大、政策的一致、国会内での協力、選挙への取り組みなどを進めていくことだ。
 野党共闘での不一致点は多い。しかし、先の通常国会では民進党・共産党・社民党・生活の党が共同し、戦争法廃止法案を始め、介護職員等処遇改善法案、保育士処遇改善法案、選択的夫婦別姓制度を導入する民法改正案、金融商品取引法改正案など多岐にわたる15本の法案を共同提案している。これをもっと広げていくことが必要だ。今後、野党によって樹立される新しい政府がどのような政策を実施していくのか、そういう基盤づくりにつながる。
 臨時国会でも、野党側の共同提案で新しい法案をどんどん出していけばいい。国会審議も一緒に連携して臨む。とりわけ政策的準備が重要で、通常国会での共同提出法案や参院選での確認事項を踏まえ、臨時国会での法案提出などを進めながら、外交・安全保障、米軍基地、自衛隊、税制、TPP,エネルギーなどの基本政策での合意形成に努めることが必要だ。 
 選挙では、10月の東京10区の衆院選補欠選挙と福岡6区の補欠選挙、さらに解散・総選挙や首長選挙でも野党の統一候補を立てるなど、共同を拡大していくことが課題となっている。候補者の選定や擁立に向けての話し合いを今からでも進めていかなければならない。
 朝日新聞調査では、安倍首相の方が「他よりよさそう」という回答が46%で、「野党に魅力がなかったから」がまだ71%もある、ここが大きな問題で、争点を提起するときにアベノミクスの失敗追及や反対だけでは支持は広がらない。戦争法反対、改憲阻止などの反対、阻止だけではなく、その後をどうするのか。反対して阻止したあと、豊かで明るい希望が持てる社会が生まれてくるのか。積極的なビジョンや構想を打ち立てていかなければならない。主体的な力を強めることは当然だが、そういう政策的な魅力を高める、アベ政治後のビジョンを提示して明るく夢のある未来像を積極的に打ち出していかなければならない。
 これまで政党関係者や支持者も、民進・共産・社民・生活の党と住み分けていて、市民運動はなるべく政党にかかわらないように一定の距離を置いてきた。これが戦争法反対、参院選、都知事選を通じて結びつくようになってきている。顔見知りになり、信頼関係も生まれた。この結びつきを、これからも大切にしなければならない。
 私は今年1月、八王子市長選に立候補したが、共産党・社民党・維新の党・生活の党・生活者ネットが支援してくれた。民主党は党としては支援しなかったが、有田芳生参院議員が個人的に応援してくれた。無党派の市議も一緒に闘った。そこで顔見知りになり、親しくなって人間関係が深まった。
 これをそのままにして、さよならするのではもったいない。これまで、戦争法反対の運動と参院選、都知事選でつくりあげた市民や野党間の多様なつながり、信頼関係を大切にし、さらにこれからの選挙の取り組みにも生かしていく。選挙共闘の取り組みへと発展させていかなければならない。
 また、大衆運動での一点共闘を拡大することも、「草の根」からの連合政権の土台づくりになる。今年の5月のメーデーでは、全労連のメーデー集会と全労協のメーデー集会で事務局長がお互いにエールを交換した。そういう動きも生まれてきている。これを発展させて、統一メーデーを実現してほしい。
 原水禁運動も原水禁と原水協がいまだに別々にやっている。まだ、いろいろとギクシャクするところもあるだろうが、一緒にやれるように努力してほしい。いろいろな大衆運動でも共同・統一を進めていくことができるのではないか。とくに今回の参院選で統一候補を擁立したところでは、連合傘下の労働者も全労連傘下の労働者も一緒に選挙を闘ったわけで、そういう共同の経験を生かしていかなければならない。
 今後、戦争法廃止・改憲阻止に向けて、まず問題になるのが戦争法の発動阻止の課題だ。当面、11月に南スーダンへのPKO部隊の派遣、駆けつけ警護や宿営地の共同防衛の問題がある。安保法に基づく新たな任務についての訓練も始まろうとしている。このままでは日本という国の形が変わってしまう。
 自由で民主的な平和国家としてのこの国のあり方は、安保法によって既に変質を始めている。憲法の原理と理念を破壊する「壊憲」策動を許さないだけでなく、安保法の全面的な発動を阻止することが必要だ。同時に、「壊憲」派への批判を強める。
 憲法学習は、ぜひ自民党の憲法草案を教材にしてほしい。「改憲案はどうあってはならないか」を示しているからだ。自民党がいかに馬鹿な政党で、とんでもないことを言っているかがはっきりと分かる。逆に言えば、現憲法がいかに優れているかがよく理解できる。ぜひ現憲法と自民党憲法草案を対比して学習し、憲法改憲阻止の闘いを広げていってほしい。

   むすびに

 参院選は「関ケ原の合戦」だと言っていたが、「天下分け目のたたかい」は始まったばかりだ。本格的な対決は次に持ち越しとなった。今後あり得る解散・総選挙がさらなる決戦の場となる。
 今年中に総選挙があるかもしれないし、年末選挙も云々されている。安倍首相は、参院選では「壊憲」を持ち出せなかったから、次の総選挙で正面から「壊憲」を打ち出し、これで勝ったら胸を張って「壊憲」を進められる、と思っているかもしれない。そうできるかどうかは、これからのわれわれの闘いしだいだ。
 そこで一番重要なことは、参院選での成果を確信に教訓を学ぶことだ。より効果的で緊密な共闘・候補者を選定し、勝てる共闘を模索していくことが必要だ。参院選の候補者擁立は急ごしらえだった。全部の1人区で統一候補がそろったのは5月31日で公示の約3週間前にすぎない。突貫工事でつくった「プレハブ住宅」のようなものだ。これから本格的な風雪に耐える「新しい建物」をつくる。本格的な野党共闘だ。総選挙がその試金石になる。始まったばかりの野党共闘は緒戦で一定の成果を上げた。今後、どう発展するかはこれからの取り組み如何にかかっている。
 今回の参院選での得票を基に、『北海道新聞』は総選挙で共闘した場合の議席を試算している。それによれば、北海道内では野党側が10勝2敗になるという(7月19日付)。総選挙での野党共闘が実現すれば、アベ暴走政治をストップさせ、新しい政権をつくれる見通しは十分にあり、大きな可能性がある。総選挙に勝利すれば、共同の政府樹立に向けて新しい展望も開けてくる。そのためにいま努力することが、私たちの責務だと思う。

「手のひら返し」の「壊憲」暴走を許さない――参院選の結果と憲法運動の課題 
  (2016-09-14〜17日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
      〔以下の論攷は、憲法会議の『憲法運動』』2016年9月号、に掲載されたものです。〕



 
      はじめに 

 「憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています。」
 安倍首相は今年1月4日の年頭の記者会見で、記者に問われてこう答えた。そのために参院選での憲法論議が注目された。首相は「憲法改正」について、どう訴えるのか。そして、「国民的な議論」はどう深められるのか。それに対して、有権者はどう判断するのか。
 その結果、ある数字が注目を集めることになる。「3分の2」である。この数が、これほど注目を集めたのは改憲勢力がこの数以上の議席を獲得すれば、改憲発議に向けての条件が衆参両院で整うからである。
 「そうは、させじ」と、野党第1党の民進党は「まず、2/3をとらせないこと。」と大書したポスターを張り出した。新聞なども、この数字に注目してキャンペーンを張った。それほどまでに注目された改憲問題である。それは参院選の争点として争われたのだろうか。それに対する有権者の審判はどのようなものだったのだろうか。

   1 容易ならざる段階を迎えた――参院選の結果をどう見るか

   *「3分の2」は突破された

 「改憲勢力3分の2超す 自公、改選過半数」
 参院選の投開票日の翌日の朝刊にこのような見出しが躍っていた。自民、公明、おおさか維新、日本のこころを大切にする党の議席に、改憲に前向きな無所属議員の議席を加えた数が、参院の3分の2を超えたのである。
 また、与党が獲得した数も、自民56議席、公明14議席の合計70議席となった。安倍首相が掲げていた改選議席の過半数である61議席という目標を9議席も超えたから、与党は勝利したことになる。
 しかし、3年前の2013年の参院選に比べれば、自民党は9議席の減となった。選挙区では10議席の減少である。参院での議席のピークは3年前の参院選であり、自民党の勢いに陰りが生じていたことが分かる。
 自民・公明の与党は2014年衆院選ですでに3分の2を超えており、今回の結果によって衆参ともに改憲発議が可能となった。アベ政治の暴走が続くなか、改憲についても具体的な動きが始まる条件が満たされた。
 しかも、都知事選で小池百合子元防衛相が都知事に当選し、改憲論者の超タカ派知事が誕生した。大阪ではおおさか維新の会の府知事と市長が存在している。第3次安倍再改造内閣では超タカ派で改憲論者の稲田朋美防衛大臣まで誕生した。まさに、改憲勢力にとっては「我が世の春」であり、憲法をめぐる状況が極めて危険な段階を迎えたことは疑いない。

   *「争点隠し」による肩透かし

 「見事な」肩透かしだったというほかない。参院選でこれほどに注目されていた改憲問題は、結局、選挙の争点にはならなかった。というより、「争点にしたくなかった」から「隠した」のである。
 その理由は、国民世論の変化にある。アベ政治が暴走を重ねる中で、改憲に対する警戒感が高まり、反対論が増えてきた。とりわけ、9条改憲については反対の方が多い。選挙で争点にすれば不利になるという計算が働いたにちがいない。
 年頭記者会見で「参院選でしっかり訴えていく」と明言していたにもかかわらず、安倍首相は参院選での遊説で改憲に触れることはなく、徹頭徹尾、「改憲隠し」選挙を貫いた。自民党も同様に「改憲隠し」に徹した。全26ページにわたる選挙公約の末尾に「国民合意の上に憲法改正」という項目を立て、「憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」と書いてあるだけだった。
 このような「改憲隠し」選挙にはメリットとデメリットがある。メリットは不人気な争点を提起しなかったために参院選で勝てたことだ。経済政策を前面に立て、アベノミクスで得られたというささやかな「成果」を売り物にして有権者の票をかすめ取ることに成功した。
 しかし、同時にデメリットも生まれた。改憲について口をつぐんだまま多数を得たが、それを政権への信任であるとして改憲に向けて突き進めば「手のひら返し」の裏切りが目立ってしまう。選挙が終わったからと言って、直ぐに突進するわけにはいかない。
 とはいえ、このような「手のひら返し」の手法は、安倍首相の得意技でもある。2013年7月の参院選で特定秘密保護法にはほとんど触れなかったが、選挙が終わると秋の臨時国会に法案を出して成立させてしまった。集団的自衛権の行使容認のための安保法案についても、2014年12月の総選挙では争点として掲げていなかったにもかかわらず、安保法案の成立を強行した
 「2度あることは3度ある」と言う。同様の「やり口」が改憲問題においても繰り返されるかもしれない。参院選での勝利を背景に改憲に向けて暴走を始めることのないよう、警戒心を高める必要がある。

   2 活路は市民+野党の共同にある――次の総選挙はどうなるか

   *2015年安保闘争で成長した市民の力

 昨年、安保法案に反対する国民的な運動が展開された。「2015年安保闘争」とも言うべき大衆的な運動が盛り上がったのである。この運動には、それまでにない特徴があった。
 その一つは、SEALDsやママさんの会、市民連合など、従来になく若者や女性、市民が自主的に運動に加わってきたことである。平和フォーラムや全労連傘下の労働組合、9条の会など以前からの運動団体と新たに加わってきた運動団体が連携し、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会を中心に継続的な集会が開かれ、デモやパレードが展開された。
 もう一つの特徴は、このような国会外での運動と国会内での議員の活動や委員会での質疑などが連動して運動を盛り上げたことである。国会前の集会には野党の議員が参加して決意を表明し、市民団体の関係者は委員会の参考人などとして意見を述べ、憲法審査会で「安保法案は憲法違反」だと断言した3人の憲法学者の証言は運動に大きな影響を与えた。
 そして第3に、これらの市民運動は政党との連携を強め、選挙などにも深くかかわることになる。政治や政党と一定の距離をとってきた従来の市民運動とは、この点で大きく異なっており、市民や政党が連携して開いた集会やデモの中で「野党は共闘」という声が上がったのは自然な成り行きであった。
 安保法は昨年9月19日に成立した。この日の午後、共産党は今後の方針を協議し、「国民連合政権」樹立の呼びかけを行った。安保法の廃止を可能にするような新しい政府を市民と野党との共同の力で樹立しようという呼びかけである。
 この時点から「2015年安保闘争」は新たな局面を迎えた。参院選に向けて野党共闘の成立をめざすという、これまでの国政選挙では経験したことのない新たな運動目標の提示であった。同時に、安保法廃止を目指す2000万署名運動も提起された。市民と政党との共同は大衆運動と選挙闘争との連携という新たな運動領域を切り開いたのである。

   *市民+野党の共同が生み出した可能性

 国民連合政府樹立の呼びかけは大きな反響を呼び起こし、多方面から歓迎された。そのためには2016年夏の参院選での野党共闘が不可欠であり、とりわけ1議席を争う1人区で野党統一候補が擁立できるかどうかがカギとなる。これまで野党が乱立したため、自民党が漁夫の利を占めてきたからである。
 2016年2月19日、安保法成立から5ヵ月後に野党5党は国会内で党首会談に臨み、安保法の廃止と国政選挙での協力で合意した。いわゆる「5党合意」である。これによって統一候補擁立が可能になったが、それを実現させたのは共産党による候補者の取り下げであった。
 こうして、熊本を皮切りに32ある1人区での野党統一候補の擁立が進められた。最後まで残った佐賀選挙区でも5月31日に合意が成立する。6月22日の参院選公示まで1カ月もなかった。
 こうして、まるで突貫工事での「プレハブ造り」のように野党共闘が成立したが、その威力は絶大で11人当選という成果を上げた。3年前の2013年参院選で2勝29敗だった野党の戦績は11勝21敗と勝率を5倍以上に高めた。
 東北では秋田を除いて全勝し、甲信越でも完勝した。西でも三重と大分で勝利し、福島と沖縄では現職の大臣を破って野党統一候補が当選している。改憲問題と同様に、自民党はTPP(環太平洋連携協定)、原発の再稼動、放射能被害対策や震災復興、沖縄での新基地建設など、有権者に評判の悪い政策について「争点隠し」に徹した。しかし、隠しきれなかった1人区では軒並み苦杯をなめている。
 民進党は、このような野党共闘の最大の受益者だった。複数区でも健闘して北海道や東京では2人当選させるなど、3年前の17議席をほぼ倍増する32議席を獲得した。その他の野党は、共産党が改選議席を倍増させて6議席、社民党は前回と同じ1議席、生活の党は比例で1議席、1人区で党籍を持つ候補者を2人当選させた。
 28の1人区では、これらの党が獲得した比例代表での得票数を上回り、26の1人区では投票率がアップした。与野党が一騎打ちで対決したために選挙への興味が高まって足し算以上の効果を生み出し、有権者の足を投票所に向けることになったのである。

   *解散・総選挙でも立憲勢力の共同を

 安倍首相は参院選で議席を獲得するために「争点隠し」に徹し、与党で70議席を獲得することに成功した。選挙前の記者会見では「新しい判断」という詭弁によって消費税再増税の再延期を表明し、本来であれば最大の争点となるはずだった消費税問題を消してしまった。
 改憲についても同様である。参院選で訴えるどころか街頭演説では全く触れず、改憲について国民の判断を仰ぐという形にはならなかった。そのために、これから改憲を最大の争点にした解散・総選挙に打って出るかもしれない。
 8月3日に第3次安倍再改造内閣が発足した。同時に行われた自民党役員人事で注目されたのが二階俊博幹事長の登場である。二階幹事長は参院選後の7月19日の記者会見で「延長は大いにあって当然のことだ」と安倍首相の総裁任期延長の可能性に言及し、幹事長になってからも「党内の意見をよく聞いて結論を得たいが、政治スケジュールのテンポとしては、ずっと引っ張ってやる問題ではない」と述べ、年内をメドに結論を得たいとの考えを示している。
 中曽根元首相のように、総選挙で圧勝すれば問題なく任期を延長できる。その総選挙で改憲を争点にすれば、国民の信任を得たとして一気に「壊憲」策動を加速させることも可能になる。一挙両得である。安倍首相が年内にも解散・総選挙を考えているのではないかとの憶測が生まれてくる根拠がここにある。
 しかし、このような手前勝手な総選挙の私物化を許してはならない。また、そうなった場合でも、「壊憲」策動を阻止する機会として生かす準備を進める必要がある。再び、立憲野党の共同によって統一候補を擁立し、安倍首相の野望を粉砕しなければならない。
 総選挙で勝利すれば、新しい政府を樹立することになる。野党間の協議を進め、選挙で擁立する統一候補の選定だけでなく政策的な合意を拡大し、新たな政権に向けてのビジョンを作る必要がある。憲法についての見解はもとより、安保・自衛隊、沖縄の基地問題、原発とエネルギー、税制と社会保障、TPP、労働や教育、子育て支援などの基本的な政策についての合意を図ることである。

   3 「壊憲」策動を阻止するために
          ―憲法原理の破壊は許されない

   *まず運動の成果を確認することが必要

 「壊憲」策動阻止の運動は、これから始まるのではない。これまでも繰り返されてきたが、その都度、反撃し撃退してきた。今日に至るまで現行憲法が維持されてきているという事実こそが、「壊憲」策動阻止の運動によってもたらされた紛れもない成果である。
 だからこそ、「壊憲」勢力は更なる攻勢を強めてきた。その急先鋒となっているのが安倍首相である。とりわけ、第2次安倍政権になってからは改憲に向けての意欲をむき出しにし、暴走を強めてきた。しかし、それに対しても反対運動や世論が高まり、阻止してきていることを強調しておきたい。
 その第1は、安倍首相が第2次政権の発足直後に打ち出した96条先行改憲論である。憲法第96条を先ず改定し、衆参両院の3分の2以上の多数が必要だという発議要件を過半数以上にして改憲のハードルを低めようとした。しかし、これは「裏口入学ではないのか」との批判を受け、世論の支持を得られず挫折した。
 第2は、憲法審査会での審議の停止と開店休業である。第2次安倍政権で憲法審査会が再開されて議論が進められたが、安保法案が国会に提出された翌月に開かれた憲法審査会で3人の憲法学者は「憲法に違反する」と明言した。この証言は安保法案反対運動に火をつける形となり、それ以降、憲法審査会は開店休業状態となっている。
 第3は、9条改憲の後回しと「お試し改憲」論の登場である。安倍首相が最も望んでいるのは9条改憲だが、それを後回しにして「緊急事態条項」の導入などで一度試してみようというのである。やりやすいところから手を付けて国民に「改憲グセ」を付けようというわけだ。
 しかし、「お試し」などという言葉にだまされてはならない。「緊急事態条項」は議会の機能を一時的に停止し、首相に全権を与えて人権の一時停止を可能にする極めて危険な内容を含んでいる。その危険性はクーデターの失敗を奇貨として緊急事態を宣言し、独裁体制を強めつつあるトルコの現状が示している通りである。
 一度試してみようというのは、9条改憲には反対が多くてやりにくいからだ。そうなったのは安保法反対運動の結果にほかならない。この運動が高まり、とりわけ200万署名に取り組む中で安保法や9条改憲の危険性が国民の間に浸透したからである。9条改憲についての世論の変化も、市民の運動によってもたらされた大きな成果だと言える。

   *改憲と9条改憲の違い

 改憲の可能性が強まり、次第に現実のものとして議論されるようになってくるなかで、改憲と9条改憲の違いも明らかになってきた。この両者を区別することが重要である。
 改憲とは、どこをどのように変えるのかという内容のいかんにかかわらず、文字通り憲法を変えることである。96条という改憲手続き条項がある以上、現行憲法も基本的には改憲を禁じているわけではなく、護憲を唱える人々も改憲そのものを否定しているわけではない。
 したがって、改定する条項や内容を特定せずに改憲そのものへの賛否を問えば、基本的には賛成が100%になってもおかしくはない。それが『産経新聞』の調査でさえ4割程度(6月20日、改憲賛成43・3%、反対45・5%)にとどまっているのは、今の憲法に不都合はなく、わざわざ面倒な手続きを行って変える必要はないと感じているということだろう。
 あるいは、すでに自民党の憲法草案が提案されているから、そのような内容の改定なら反対だということなのかもしれない。改憲についての反対意見を増やすうえで、自民党の憲法草案は一定の役割を果たしているように見える。
 さらに、改憲と言えば9条改憲のことだと考えて反対する人もいるだろう。しかし、改憲とは必ずしも9条を変えることだけではなく、自民党憲法草案のように変えることでもない。改憲について賛成が多いからと言って、自民党や安倍首相が目指している改憲路線が支持されているわけではない。
 改憲には賛成だが、9条に手を付けることには反対だという意見がある。9条を変えることには賛成だが、それは専守防衛という「国是」に基づく自衛隊のあり方を守るためのもので、いつでも海外に派兵されてアメリカ軍などの「後方支援」をできる「外征軍」化や「国防軍」化に対する歯止めを書き込むための改正だという意見もある。
 これらの違いを無視してはならない。その違いを区別することなく、十把一からげに改憲派だとするマスコミ論調に惑わされないように留意すべきだ。この点をきちんと区別して、自民党改憲草案や安倍首相が目指しているのは「改憲」ではなく「壊憲」であることを明確にし、それへの反対世論を増やして安倍首相を孤立化させることが必要なのである。

   *「改憲」と「壊憲」の違い

 憲法をめぐる動向において、これから強まると思われるのは「壊憲」に向けての動きである。それは、これまでも「改憲」の装いを隠れ蓑にしてきた。この「改憲」と「壊憲」はどう違うのか。
 「改憲」は憲法の文章を書き変えることである。明文改憲ではあるが、憲法の理念や原理に抵触するものではない。つまり、「改憲」とは平和主義、国民主権、基本的人権の尊重という「憲法の三大原理」を前提とした条文の変更のことで、それには限界がある。現行憲法の原理や理念を前提とし、自由で民主的な国家という国の形を保ったうえでの改定であり、それを踏み越えてはならない。
 『毎日新聞』の古賀攻論説委員長は8月2日付に掲載された「社説を読み解く:参院選と改憲勢力3分の2」で、「冷静な憲法論議の前提条件は」と題して、「一口に憲法改正と言っても、理念・基本原則を対象にする場合と、統治ルールの変更を検討する場合とでは、論点の階層が根本的に異なる」と指摘している。
 そして、「毎日新聞はこれまでの社説で、戦後日本の平和と発展を支えてきた憲法の理念を支持しつつ、政治の質を高め、かつ国民が暮らしやすい国にするためのルール変更であれば前向きにとらえる立場を表明してきた」とし、「権限が似通っている衆参両院の仕分けや選挙方法の見直し、国と地方の関係の再定義など統治機構の改革を目的にした憲法改正なら、論じるに値するテーマと考える」と述べている。
 民進党の岡田代表は8月6日、違憲立法審査権の充実などに言及し、「より司法の役割を重視することは一つの議論としてある」と語った。これが通常の「改憲」である。このような改憲であれば拒む必要はない。ただし、それが「本丸」としての9条改憲の呼び水にならないように警戒しながらではあるが。
 これに対して、「壊憲」は憲法の文章を変えるだけでなく、原理や理念をも変えようとしている。つまり、「壊憲」とは「憲法の三大原理」を前提としない条文の変更であり、それには限界がない。現行憲法の原理や理念を破壊し、自由で民主的な国家という国の形を変えてしまう憲法条文の書き換えを意味している。9条改憲はその典型であり、安倍政権が目指しているのはこのような憲法の破壊、すなわち「壊憲」にほかならない。
 なお、天皇が「生前退位」を示唆したが、これは憲法が禁じているものではなく皇室典範の改正などによって適切に対処すればよい。改憲機運の醸成などに利用され、国民主権原理に抵触するような「壊憲」に結びつかないよう警戒する必要がある。

   *自民党憲法草案の撤回が前提

 このような「壊憲」の狙いは、2012年5月10日に憲政記念会館で開かれた極右団体「創生『日本』」の第3回東京研修会での発言にはっきりと示されている。この場で、第1次安倍内閣で法務大臣を務めた長勢甚遠議員は、「国民主権、基本的人権、平和主義、この三つはマッカーサーが押し付けた戦後レジームそのもの、この三つをなくさないと本当の自主憲法にならないんですよ」と力説していた。この会合には、安倍首相はじめ、衛藤晟一元内閣総理大臣補佐官、城内実元外務副大臣、稲田朋美元政調会長、下村博文元文科相も同席している。
 憲法第96条に基づく「改憲」は許される。しかし、憲法の理念を破壊する「壊憲」は許されず、発議することもできない。この点をはっきりさせることが、憲法論議の前提である。憲法について論議するのは「改憲」についてであって、「壊憲」についてではない。このことを自民党は明確にするべきであり、野党の側もそれを求めなければならない。
 しかも自民党は、国家主義と復古主義、国民の権利や人権制限の色彩が濃厚な憲法草案を提案している。それは帝国憲法の復活だと言われているが、そうではない。それ以下の内容で、戦中の軍部独裁と総力戦体制を条文化したようなものとなっている。憲法の原理や理念の変更に遠慮なく踏み込んでおり、近代憲法以前の内容である。
 したがって、憲法理念を否定する自民党憲法草案は論議のたたき台にならないし、そうしてはならない。安倍首相も8月6日、「そのまま案として国民投票に付されることは全く考えていない」と述べている。それなら、憲法審査会を再開させる前提として、この憲法草案を破棄または撤回するべきだ。
 安倍首相は価値観外交を展開しているが、ここで「共通の価値観」とされているのは自由主義、民主主義、基本的人権、法の支配などである。これを外交方針にだけ留めるのは惜しい。与野党間の憲法論議においても、このような「共通の価値観」を前提にしなければならない。
 自民党としても、長勢元法相のような「国民主権、基本的人権、平和主義」を否定する発言を許さず、今もそのような意見を持っているのかを確かめたうえで除名しなければならない。また、そこに同席して同調するかのような態度をとっていた安倍首相はじめ参加者をきちんと処分するべきだろう。

   4 「護憲+活憲」による憲法運動の発展

   *「活憲」による憲法再生と将来ビジョンの構築を

 今から11年前、私は『活憲―「特上の国」をめざして』(山吹書店2005年)という本を出した。その「はしがき」には、「憲法は護らなければならない。しかし、それだけでいいのか?」という問いと、「護るだけでなく、日々の暮らしに活かすことこそ必要だ」という回答を記している。
 「改憲を阻むだけでは、現実がそのまま残るだけ」であり、「その現実は、長年の『反憲法政治』によって、憲法の理念と大きく乖離してい」るから、それを放置するのではなく、「現実も変えていくことが必要」なのである。これが「活憲」であり、「憲法の基本理念に基づいた政治を実現し、憲法を日々の暮らしに活かすこと」にほかならない。
 憲法を活かし憲法を再生させることによって、本来の可能性を全面的に開花させればどのような明るく素晴らしい未来が開けてくるのかというビジョンを打ち立てる必要がある。こうして、守勢から攻勢へと憲法運動の発展を図ることが求められている。
 そのために必要なことは、憲法についての学習を深めることである。小さなグループで自民党憲法草案と現行憲法との対照表を用いてじっくり比較するのが良いと思う。憲法とはどうあってはならないかを実際に条文化した格好の教材が自民党の憲法草案であり、それと対比しながら各条文の意味や意義を学べば憲法に対する理解が一段と深まるだろう。そのことによって、「壊憲」が生み出す社会の恐ろしさと現行憲法が目指している社会のすばらしさが認識されるにちがいない。
 また、安保法の発動や米軍基地の強化、自衛隊の増強などに反対し、平和を求める9条理念の具体化を図ることである。基本的人権の尊重などの憲法理念についても、その具体化を目指さなければならない。ヘイトクライムや障害者、女性、少数者への差別などに反対して人権を守ること、マスメディアへの介入や規制を許さず報道の自由や知る権利を擁護すること、政治的中立を名目とした集会規制や教育への介入などを許さないこと、非正規労働者の処遇改善やブラックバイトの是正、職場での労働者の権利拡大など、社会生活と労働の各方面における民主主義の確立に努めることである。
 憲法が保障する権利や自由、民主主義が行き渡っていけばどれほど風通しが良く、希望にあふれた社会に変わるのか。そのような展望とビジョンを示さなければならない。憲法が蹂躙されている「今」を告発するだけでなく、それが活かされた場合の「明日」を豊かに描くことによって、はじめて憲法がめざしている社会に向けての夢と希望が湧いてくるにちがいない。

   *自衛隊をどう活かすか

 「活憲」の中でも最大の課題は、自衛隊をどう活かすかという問題である。前述したように、改憲には賛成でも9条改憲には反対だという立場や9条改憲に賛成でもそれは自衛隊の国防軍化や外征軍化を阻止するための改憲だという意見がある。このような人々も味方にして「壊憲」阻止勢力を拡大するには、この問題についての回答を示さなければならない。
 そのためには、自衛隊の役割と位置づけを明確にする必要がある。たとえば、「自衛隊を活かす会」は「自衛隊を否定するのでもなく、かといって集団的自衛権や国防軍に走るのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の役割と可能性を探り、活かす道」を「提言」している。これなどを参考にした政策の緻密化が求められる。
 そもそも、自衛隊は「戦闘部隊」としての性格と「災害救助隊」としての性格という二面性を持っている。前者が主たる任務で後者が副次的任務となっており、将来的にはこれを逆にするべきだが、実際にも「災害救助隊」としての自衛隊の有用性が高まっている。
 阪神・淡路大震災以降、自衛隊は災害救助面で大きな役割を発揮し、東北大震災や熊本地震での活動などもあって副次的任務への評価が増しているという変化がある。自衛隊に入隊する若者の志願動機の多くは「人の役に立ちたい」というもので、それは被災者を救うことにほかならない。
 また、「戦闘部隊」としても、9条に基づく「専守防衛」を国是としてきた自衛隊の任務は外敵による急迫不正の侵害から国土を防衛することであり、海外での任務遂行は前提とされてこなかった。そのような「自衛」隊を海外の戦地に送り、戦闘に巻き込まれるようなリスクを高めてはならないというのが、安保法に反対する論拠の一つであった。
 つまり、安保法の成立による自衛隊の変質への批判と抵抗は、自衛のための戦闘部隊としての位置づけを前提とするものである。そのうえで、自衛隊をどう活かしていくのか。今後、自衛隊の役割と位置づけについての再定義が必要となろう。それは野党共闘による新しい政府が採るべき安保・防衛政策を練り上げていく作業でもある。

   *「壁」の高さと「ブレーキ」の効き具合

 衆院憲法審査会の保岡興治会長(自民党)は7月30日までに共同通信のインタビューに答えて、「首相は改憲を主導する立場にない。スケジュールは審査会幹事会の(与野党の)議論を尊重して決める。現時点で明確にしようとしても無理だ」と述べている。改憲に向けての動きが期限を決めて一瀉千里に早まるという状況にはない。
 さし当り、3つの「壁」ないしは「ブレーキ」がある。
 第1には、安倍政権を支える二階俊博幹事長など、改憲消極派の存在である。二階幹事長は憲法改正について「急がば回れだ。慌てたら、しくじる」と述べ、「首相の政治的信条は分かるが、強引にやっていくスタイルは受け入れられない」と指摘している。
 第2には、与党内における公明党の存在である。山口那津男代表は「公明党は『加憲』の立場です」としつつ、「基本的人権の保障が一番の憲法の意義です。それをいたずらに抑制・制限しない統治の仕組みを定めていく」として「壊憲」には反対する立場を明らかにしている(『毎日新聞』2016年8月7日付)。改憲勢力とされるおおさか維新の会も9条改憲を前面に出しているわけではなく、統治機構の再編など「壊憲」とは異なった構想を示している。
 第3には、国民世論の動向がある。世論は改憲に積極的ではなく、安倍政権での憲法改正について「反対」が49%で「賛成」は38%となっている(『日経新聞』2016年7月25日付)。しかも、最終的には国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。この世論の「壁」を乗り越えなければ、通常の「改憲」にしても安倍首相が狙う「壊憲」にしても夢物語に終わる。

   *民主的政府の下での憲法理念の具体化

 『毎日新聞』の曽我豪編集委員は「実際いま、『3分の2』の側を取材して感じるのは、勝者の高揚感ではなく、困惑や緊張、自省と言った感情である」とし、「大きな図体の維持や運営に失敗すれば、かえって、改憲が遠のくからだろう」と書いている(2016年8月7日付「日曜に想う」)。「浮き」が水面下に引き込まれたのを確認して慎重に竿を引き上げようとしている釣り師のようなものかもしれない。一旦ばらしてしまえば、二度と釣り上げるチャンスが巡ってこないことを良く知っているからだ。
 悲願としてきた「壊憲」の野望を実現する可能性が高まり、安倍首相は「いよいよ着手できる」と胸を高鳴らせているにちがいない。しかし、改憲勢力が3分の2を占めたとは言っても、憲法のどこをどう変えるのかという点については様々で、選挙中の沈黙を破って改憲を無理強いすれば改憲勢力内の不協和音を生み、公明党の反発を強め、野党の批判と国民世論の抵抗を高めるリスクがある。
 安倍首相にすれば、念願の改憲を急ぎたいけれど、さりとて世論の反発を招いて国民投票で否決されるリスクを強めるような冒険は避けたいと考えているにちがいない。ここで求められているのは、慎重に急ぐという難しいかじ取りだ。このジレンマの中でどうするのが最善かを、今、見極めようとしているのではないだろうか。
 安倍首相や「壊憲」勢力の前には「壁」があり、一定の「ブレーキ」も備わっている。その壁がどれほどの高さかは分からない。ブレーキがどれほどの効き具合かは不明である。
 しかし、確かなことは、その壁を高くするのも低くするのも、ブレーキの効き具合を良くするのも悪くするのも、私たちの運動次第だということである。そして、最終的に勝利するのは世論を味方につけた側なのだ。
 「改憲勢力3分の2突破」という報にたじろがず、「危険水域」に入ったことに悲観せず、さりとて自らの力を過信して楽観せず、彼我の力関係を冷静に見極めながら世論に働きかけていく以外にない。このような地道な憲法運動こそが「壊憲」を阻むだけでなく、民主的な政府の下での憲法理念の具体化という「活憲」に向けての新たな地平を拓くにちがいない。



「政治を変える」ことと労働組合   ――参院選の結果をふまえて 
  (2016-08-10〜12日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
      〔以下の論攷は、勤労者通信大学の『団結と連帯B労働組合コース』に掲載されたものです。〕




 
   はじめに

 注目の参院選が終わりました。その結果がどうなるかによって、日本の前途に大きな影響が及ぶと見られていた選挙です。まさに、歴史の分水嶺としての重大な意義をもつ政治決戦でした。
 果たして、選挙の結果はこれまでの政治を変えるような力を持ったのでしょうか。この選挙において、労働組合はどのような役割を果たしたのでしょうか。
 今回の参院選の結果を検討しながら、政治を変える必要性とそのために果たすべき労働組合の役割について考えてみることにしましょう。

   1、参院選の結果をどう見るか

   与党は勝利したが自民党は不振だった

 今回の選挙に当たって、安倍首相は与党合計で改選議席の過半数である61議席を超えるという目標を掲げていました。選挙の結果、自民党は56議席、公明党は14議席を当選させ、与党は合計で70議席を確保しています。目標を突破したわけですから、与党が勝利したことは疑いありません。
 しかし、自民党は単独で参院の過半数である57議席を突破できませんでした。選挙後、無所属だった平野達男参院議員(岩手選挙区)が入党したために過半数を上回りましたが、選挙によって実現することはできなかったのです。この点では、必ずしも満足のいく結果ではなかったでしょう。
 また、自民党の議席は前々回の2010年参院選から13年参院選、そして今回の参院選にかけて51→65→56と変遷し、前回より9議席減らしています。この間、比例区での議席は16→18→19と増えていますが、選挙区では39→47→37となったからです。つまり、3年前の13年参院選と比較して自民党は9議席減少し、選挙区での当選者数も6年前の10年参院選を2議席下回っていたのです。

   改憲勢力は発議可能な3分の2を突破

 このように自民党の成績はあまりよくありませんでした。それでも非改選や改憲派の無所属議員も含めた改憲勢力の議席が参院の3分の2を超えたのは、公明党が9から14へと5議席増、おおさか維新の会が2から7に5議席増となったからです。
 しかし、公明党も3年前の13年参院選と比べれば、比例代表では7議席、757万票、14%から全く変化していません。3年前から新たに議席を獲得したのはいずれも定数が増えた選挙区でした。公明党の議席増は党勢の増大ではなく、定数増の恩恵を受けたものです。
 一昨年の総選挙によって、衆院ではすでに自公が3分の2以上の議席を上回りました。3分の2以上の議席があれば、衆参両院で改憲に向けての発議が可能になります。安倍首相は「憲法を変えたい」という積年の野望を実現できる手段を手に入れたということになります。

 威力を発揮した野党共闘

 他方、今回の参院選は野党と市民が力をあわせてたたかうという、これまでにない特徴を持つ選挙でした。野党共闘と市民は、戦争法の廃止や立憲主義の回復、個人の尊厳を守る政治の実現などを掲げ、全国32ある1人区のすべてで統一候補を擁立しました。
 そのうちの11の選挙区で野党統一候補が自民党候補に勝利し、沖縄と福島では、安倍内閣の現職閣僚を破り、野党統一候補が勝利を収めています。このような成果は野党共闘なしには不可能でした。改憲をめざして戦争する国づくりを進め、大企業や富裕層を優遇する安倍政治に対して、国民の意思が示されたものだったと言えます。
 このような野党共闘の効果は得票数の増加によっても示されています。野党4党の比例区での得票合計と選挙区での得票を比べると28選挙区で上回っており、最も多かった山形選挙区では比例区での得票の1・7倍になっています。また、無党派層の6割、自民党支持者の1割、公明党支持者の2割が野党共闘に投票していました。
 野党共闘は投票率の上昇にも寄与しています。合区の2選挙区を除く30選挙区のうち26選挙区で前回より投票率が上昇し、最も上昇幅が大きかった青森では前回と比べて9ポイントも伸びました。

   各党にもメリットがあった

 このような野党共闘は各政党にとってもメリットがありました。野党共闘の主力となった民進党は部分的にイメージチェンジに成功し、17議席にとどまった3年前の民主党時代よりほぼ倍増の32議席を獲得しています。
 共産党はカヤの外で「独自のたたかい」を強いられてきた1人区でも議席に関わる選挙に取り組めるようになり、6議席と倍増しました。ただし、前回03年参院選の8議席には及びませんでした。1人区で候補者を下したために影が薄くなったという野党共闘の代償、自衛隊についての藤野前政策委員会責任者の失言やこれを利用した執拗な反共攻撃、北朝鮮や中国の不穏な動きなどがボディブローのように効いたためでしょう。
 社民党は比例代表での2議席を維持できませんでしたが、それでも28万票増となりました。
 生活の党と山本太郎と仲間たちも比例区で1議席を獲得し、党籍のある候補者を岩手選挙区と新潟選挙区で当選させました。この間、野党共闘実現のうえで小沢党首は大きな役割を果たしましたが、それが評価されたためだと思われます。


   2、政治を変えることの必要性

   明文改憲阻止のために

 参院選の結果、憲法改悪の危険が迫ってきたように見えます。実際、安倍首相はいつでも改憲発議ができる条件を手に入れました。しかし、首相は選挙戦の街頭演説では一言も触れず「改憲隠し選挙」に終始しました。国民が改憲に賛成していないことを知っており、選挙に不利になると考えたからです。
 投票直前の世論調査では、参院選で憲法改正の議論が深まったとする人はわずか20%で、深まっていないとする人が62%にも上り(『朝日新聞』7月4日付朝刊)、投票後の調査でも、議論が深まったという人は24%、深まらなかったという人は59%に上っています(『朝日新聞』7月14日付)。国民は改憲に賛成したわけでも、安倍首相に白紙委任したわけでもありません。
 何よりも、改憲勢力にとって頭の痛い問題は、最終的に国民投票での承認を得なければならないという関門があることです。安倍首相にすれば、念願の改憲を急ぎたいけれど、さりとて世論の反発を招いて国民投票で否決されるリスクは避けたいというところでしょう。
 いずれにしても、改憲をめぐる今後の動向を注視し、戦争法の発動による既成事実化を阻み、民進党内での改憲派の蠢動を抑えて立憲4党の共闘を維持することが必要です。同時に、憲法に対する国民の理解を深めて改憲勢力の狙いと危険性を周知していくことが極めて重要になっています。

   平和を守り安全を確保するために

参院選の最中、とりわけ若者などから「日本が攻められたらどうするのか」という疑問の声が上がりました。北朝鮮の核開発やミサイル発射実験が相次ぎ、中国の海洋進出などの動きが伝えられたからです。
しかし、ここではっきりさせておかなければならないのは、日本という国は攻められたら終わりだということです。日本は「戦えない国」ですから、「もし、攻められたら」という問いに対する答えはありません。そもそも「戦う」という選択肢はありませんから、攻められないような国際環境を作ることがただ一つの解決策なのです。
その理由は、第1に、国土の特性にあります。狭くて集住化と都市化が進んでいる国に、逃げる場所はありません。第2に、北朝鮮には近すぎ、6〜7分で着弾するミサイルを防ぐことは不可能で、ミサイル防衛(MD)は機能しません。第3に、日本海側には原発が並んでいて、腹を出して寝ているようなものです。強固に防備されている原子炉ではなく使用済み核燃料の保管庫をドローンなどで攻撃されればひとたまりもありません。
最低限、これくらいのことを理解できる政治指導者が必要です。他国によって攻められないような関係を作るためのビジョンを持ち、軍事以外の選択肢を提起できる新しい政府を実現するためには政治を変えるしかありません。

   生活と労働を守るために

 選挙で与党が支持されたということは、「変えなくても良い」と考える人が多かったからです。低い投票率も、あえて投票することによって現状を変える必要性を感じなかったということを示しています。世界経済が不透明になって漠然とした不安が強まるもとで、政権の安定や生活の安全を優先する意識が働いたのかもしれません。
 今回の選挙で、安倍首相は経済政策こそが最大の争点だとしてまたもアベノミクスを前面に打ち出し、「この道を。力強く、前へ。」というスローガンを掲げました。アベノミクスは「道半ば」だというのです。始まってから3年半も経つというのに……。
 安倍首相が掲げている新旧の「3本の矢」は実行不可能で、黒田日銀のマイナス金利政策も破綻しています。為替市場は円高・株安に転じ、実質賃金は5年連続マイナスで消費や設備投資も低迷しています。だからこそ、消費増税を約束通り実施することができず、「新しい判断」によって先送りせざるを得なくなりました。
 すでに失敗した「道」を「力強く、前へ」進めても、日本社会のスラム化を強め、さらなる大失敗が待っているだけでしょう。必要なのは継続ではなく転換なのです。大型の財政出動や給付金バラマキなどの再分配政策によってもこの大失敗を挽回することはできません。生活と労働を守るためにも、政治を変えることが必要なのです。

   3、変革の推進力としての労働組合

   労働組合が持つ力と武器

 今日の社会において働く人々の数は圧倒的です。この働く人々が労働組合を結成して恒常的な団結の力を発揮し、賃金・労働条件の改善や権利擁護・拡大を目指して活動するのが労働組合運動にほかなりません。そして、この組織された数の力は政治に対して働きかけるうえでも大きな影響力を発揮することができます。
 企業内や生産現場での要求実現のために大きな武器となるのはストライキです。他方、政治や行政に対して要求を実現するためには選挙で多数を獲得しなければなりません。そのための武器となるのは数の力です。
 労働組合はこのような数の力を発揮して政治を変える力を持っています。同時に、要求で団結する大衆的な組織ですから、組合員の思想・信条の自由を守らなければならず、特定の政党への支持を強制してはなりません。

   野党共闘の推進力として

 今回の参院選では、戦争法を廃止して立憲主義を守り、個人の尊厳を回復するために市民運動も積極的に選挙に関わりました。市民連合を結成して、1人区での野党共闘の推進と統一候補の当選のために大きな役割を果たしています。このような野党共闘の推進力の一つが労働組合でした。
 その典型的な例は鹿児島選挙区での野党共闘と県知事選に対する取り組みに見られます。ここでは、参院選の統一候補として県連合の事務局長が立候補し、県知事選挙での統一候補として県労連の事務局長が立候補予定者になりました。その後、県知事選に無党派の三反園訓さんが立候補の意思を示したために川内原発の一時稼働停止という協定を結んで一本化し、現職を破って三反園さんが当選しています。
 すでにふれたように、全国でも32ある1人区の全てで野党共闘が実現し、11人が当選するという成果を上げました。この共闘の推進力として各県の労働組合も大きな役割を果たしています。政治を変え、働く人々の要求を実現するために、組織された社会的勢力としての数の力を発揮したことになります。

   むすび

 参院選では与党が勝利しました。しかし、3年前の2913年参院選と比べて、自民党は比例代表で1議席増となったものの選挙区では10議席減となり、合計でも9議席の減少となっています。アベノミクスは支持されたわけではなく、安倍首相が口をつぐんでいた改憲についても白紙委任されたわけではありません。
 このような結果になったのは、1人区での野党共闘が成果を上げたからです。今回が最初の試みでしたから、それはまだ初歩的なものですが、今後に生かされるべき大きな教訓を示しています。




現代の多様な社会運動の意味
 (2016-06-30〜07-02日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
      〔以下の論攷は、『学習の友』2016年7月号、に掲載されたものです。〕




    はじめに

 「勝手に決めるな」「民主主義とは何だ」「これだ」
 国会正門前の路上にあふれた人々が大きな声をあげていました。安保法制(戦争法)反対運動で、普通に見られた光景です。このようなコールや異議申し立てこそ、社会運動の姿にほかなりません。
 このような運動は国会正門前だけでなく全国の津々浦々で、老若男女を問わず多種多様な問題を掲げて、いろいろな形で取り組まれてきました。なぜ、人々はこのようにして声を上げ、要求を訴えるのでしょうか。政治に対して異議を表明するのでしょうか。
 現代の社会においては、様々な運動が展開されています。それは政治が多くの問題を抱えていることの現れですが、同時に社会が健全であることの証明でもあります。どうしてそう言えるのでしょうか。その背景と意味について考えてみることにしましょう。

   1 社会運動とは何か

   エクササイズとムーブメント

 運動とは何でしょうか。モノが変化すること、空間的な位置を変えること、人が動くことです。動くことによって変化が生ずる、あるいは変化を生じさせるために動くこと。これが運動です。
 人々が個人の健康維持や増進を求めて動くのも運動です。これは英語で言えば、エクササイズに当たります。動くことによって、自らの肉体に変化を生じさせることをめざしています。
 人々が社会の健康維持や増進を求めて動くのも運動です。これはムーブメントでしょう。動くことによって、社会のあり方に変化を生じさせることをめざしているからです。
 この両者の目的は共通しています。それは、個人や社会の健全なあり方を維持する、より健康にする、あるいは悪いところを直すことにあります。そのために声を発し、立ち上がって一歩を踏み出すところから、運動は始まります。

   目標と主体

 社会運動は一定の目標を達成するために実施される集団的な行動です。その目標は、何かを実現するための促進的なものであったり、何かに反対するための阻止的なものであったりします。目標とされるテーマは様々ですが、大きくは具体的な利益と抽象的な理念に分かれます。待機児童の解消や最低賃金の引き上げを求める運動は前者であり、報道の自由を守る運動や戦争法に反対する平和運動は後者だと言えるでしょう。
 運動を担う主体は様々で、構成員によって運動の目標や性格も異なります。労働者階級を主体とする労働運動も社会運動の構成部分ですが、ストライキという強力な闘争手段を持ち搾取や抑圧の一掃を目指している点で、他の運動とは異なっています。青年運動や学生運動、女性運動、高齢者運動などは特定の階層によって担われるものです。
 このほか、様々な階級や階層が含まれる市民運動や住民運動などもあります。市民運動は居住している地域に関わりなく抽象的な理念に基づく運動に取り組み、住民運動の方は居住している地域での具体的な利害の実現を目標にしている場合が多いと言えるでしょう。
 このような多様な社会運動は政治の民主的変革と結びつかなければ根本的には解決しません。多様な社会運動が労働運動と結びついてこそ、新たな社会変革の可能性が切り開かれることになります。

   2 今日における社会運動の特徴

   社会運動の再生と多様化

 最近では、社会運動の再生が顕著です。若者や女性、普通の市民など新たな参加者が様々な目標を掲げて運動に加わるようになってきました。国際的に見れば、ヨーロッパの反緊縮運動、アメリカの「オキュパイ運動」、香港の「雨傘革命」、台湾での「ひまわり運動」などがありました。このような運動の波が日本にも押し寄せてきています。
 04年には9条の会が発足し、08年には派遣村の運動が始まり、ワーキングプアや非正規労働問題に取り組む労働運動や反貧困運動が活性化しました。そして、11年の東日本大震災と福島での原発事故を画期に段階的な変化が始まります。
 脱原発運動、特定秘密保護法反対運動、沖縄・辺野古での新基地反対、環太平洋経済連携協定(TPP)反対、労働法制改悪反対などの運動、ヘイトスピーチへのカウンターデモ、消費税の増税阻止など「一点共闘」と言われる多様な社会運動が大きく前進してきました。
 その頂点となったのが昨年の「2015年安保闘争」と言われる戦争法反対闘争であり、そこでの国民的共同の前進でした。ここには、今日における社会運動の特徴が明瞭に示されています。

   3つの潮流の共同

 第1に、市民団体、全労連系、連合系という3つの潮流の共同によって担われたということです。その一つの到達点が、2016年5月3日に東京臨海広域防災公園で開かれ5万人が参加した集会でした。この集会では市民団体が結集した「解釈で憲法9条壊すな!実行委員会」の高田健さんが開会あいさつ、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り生かす共同センター」の小田川義和さんがカンパのお願い、「戦争をさせない1000人委員会」の福山真劫さんが行動提起をしました。
 この3つの団体は、2014年12月5日に結成された「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の構成団体です。市民団体とともに異なる潮流の労働組合が戦争法反対闘争を支えていたわけで、とりわけ全労連は大きな役割を果たしました。このような実績を背景に、「連合系」と「全労連系」との初歩的な「共同」が実現するなど労働運動にも一定の前進的な影響が生じています。

   市民運動と政党との連携

 第2に、戦争法反対闘争では、市民運動が政党に積極的に働きかけ、国会内外での幅広い共同戦線ができあがりました。「野党は共闘」という市民の声に押されて、民進党・共産党・社民党・生活の党の野党4党の共同も大きく前進し、5月3日の憲法集会でも野党4党の党首があいさつして連帯を表明しています。
 戦争法成立後、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が結成され、夏の参院選に向けての野党共闘を推し進める大きな力になりました。その結果、32ある1人区の全てで野党共闘が実現する見通しとなっています。これまでの市民運動の多くは政治や政党と距離を置き、自ら選挙活動に積極的に取り組むことはありませんでした。この点でも、大きな変化が生じています。

   多様な運動の合流

 第3に、戦争法反対闘争だけでなく、多様な運動が合流してきているということです。5月3日の憲法集会では、高校生平和大使だった上智大学生、辺野古基金共同代表、100歳を超えて活躍中のジャーナリスト、市民連合の大学教授、シャンティ国際ボランティア会、沖縄・一坪反戦地主会、NPO法人原子力資料情報室、障がい者の生活と権利を守る全国連絡協議会、朝鮮高校の生徒、日本消費者連盟、子ども教科書全国ネット21、日本労働弁護団、NPO法人しんぐるまざーず・ふぉーらむ、自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)の関係者がスピーチしました。
 60年代に大きく発展した革新統一運動は80〜90年代に「社公合意」による統一の分断に直面しました。その困難な時代から運動を担ってきた平和革新勢力の「敷布団」の上に、新しく運動に加わった市民運動の「掛け布団」(中野晃一さん)がかぶさり、その両者が手を結んだ象徴的な姿だったと言えるでしょう。

   垂直的な運動から水平的な運動へ

 第4に、戦争法反対闘争などの集会への参加者は組織によって動員されたのではなく自らの意思でやってきた人々でした。政党が主導して労働組合が動員をかけるような垂直型ではなく、政党も労働組合も一般の市民も対等平等で自発的に参加し共同する水平型の運動への変化を確認することができます。
 これまでの運動では、団体ぐるみで実行委員会に参加し、それぞれの団体に動員の数が割り当てられ、参加者には交通費や日当を出すというような姿がしばしば見受けられました。しかし、このような運動形態は過去のものとなりつつあります。その特徴は「無名」の主催者が中心となって、合法主義・非暴力主義に徹し、誰もが気軽に参加できる「普段着の運動」であったことです。

   3 民主主義の揺りかご

   何が変わるのか

 社会運動に取り組み、デモやパレードをすることや集会に参加することで何が変わるのでしょうか。それぞれの運動が掲げているテーマを示すことによって、社会の中での問題の存在を知らせることができます。困っている人が声を上げることができ、デモや集会が行える社会に変えていくこともできます。
 また、社会運動に関わることによって、問題の所在を知り、困っている人に寄り添い、解決を求めてデモや集会に参加することをいとわない自分に変わっていくことができます。政治や社会に対する関心を高め、他人事として見過ごすことをせず、主権者としての権利を行使することができるようになります。
 民主主義とは国民が主権者であるということを意味しています。問題に気が付いたり新たに発生したりしたら、その解決を政治家任せにせず自ら声を発することが必要です。そうすれば「お任せ民主主義」を脱し、新たな民主主義を生み出すことができるにちがいありません。その意味で、社会運動は民主主義の揺りかごなのです。
 初めから諦めてしまって何もしなければ何も変わりません。無知や無関心は無力感を生み出して私たちから力を奪います。結果はどうあれ、まず自分が感じた怒りを素直に表現することが大切です。自由と人権は不断の努力によって保持され、権利は行使することによってしか守られないのですから……。


   
   運動の効用

 このような社会運動の効用としては、第1に、機能不全に陥っている間接民主主義を直接民主主義によって補修することができます。主権者が声を上げることによって、民意を直接国政に届けることができるからです。小選挙区制という選挙制度によって民意が捻じ曲げられている現状では、その意義は極めて大きくなっています。
 第2に、政治や行政にとっての効用もあります。問題の発生と所在を教えてもらうことができるからです。国民の不平や不満、反対が高まることによって運動は起きますから、いかなる問題についてどのような不満や反対がどのような地域や階層に存在しているかを当局者は知ることができ、適時・的確に対応することができるようになります。
 第3に、社会を健全にし、心身ともに個人の健康を増進することができます。いつでも要求をぶつけたり異議申し立てをしたりすることができるのは風通しの良い社会の証拠であり、主権者の意思が政治に反映できるまともな社会の姿です。そのような社会を生み出すために政治や社会への関心を持ち続けて集会やデモなどに出かければ、ボケることなくストレス解消や足腰の鍛錬にも役立ちます。運動は社会を健康にするだけでなく、個人を健康にするためにも役立つのです。素晴らしいことではありませんか。



国民連合政府を考える 戦争法廃止への道すじ
  (2016-03-14〜17日)

          五十嵐 仁(法政大学大原社会問題研究所前教授)
                                        
      〔以下の論攷は、2016年1月30日に横浜波止場会館で行った「国の行政と職場に憲法を生かす会
      (通称:国公かながわ革新懇)」での講演記録です。〕

はじめに

 明けまして、ご苦労様でございます。選挙に落ちてしまい、「おめでとう」とは言えない立場です。今、八王子市長選挙の話がありましたが、候補者がいかに激務であるかということがよくわかりました。君嶋さんは何度も候補者になっていますが、大変だなあと実感いたしました。
 しかも私の場合、12月18日に出馬表明して以降、あっという間に本番突入でした。事務所開きが12月27日で28日が仕事納めですから、開いたとたんに閉じるという始末です。年末年始はお休みで1月4日ぐらいから本格的に運動開始、8日には市民との集いに700人が集まり、そこから選挙活動が本格化しました。その後、1月17日告示24日投票というスケジュールですから、運動開始から3週間くらいしかありませんでした。そういう点では、本当に時間が足りなかった。
 私は5万1000票いただきましたが、3週間ほどで5万票だと、相手の現市長は4年間やってきて9万だ。日割りにしてもしようがないんですが、日割りにすればすごい勝利です。当選したら、今日は来られなかったと思います。その前になぜキャンセルしなかったのかと言われるとちょっと困るんですが。
 最初から、かなりの差がありました。昨年4月の市議選でとった得票を比べると、私を支持してくれた市議の得票は5万弱なのです。相手候補の自公民は13万を超えていました。相手は4万票へらし、私は2000票増やした。
 私自身、2か月前は候補者なんてことは考えてもいなかった。本当に青天の霹靂で「びっくりポン」でした。こういう中で極めて短期間取り組んだ市長選挙でしたが、これについては後で触れたいと思います。
 いよいよ改憲、憲法をどうするかが具体的な政治日程に上ってきました。安倍首相は施政方針演説では言っていませんでしたが、国会の答弁で改憲が「現実的な段階に移ってきた」と答えています。
 当面、具体的課題として打ち出そうとしているのが「緊急事態条項」であると言われています。これは憲法に入っていないから入れようとしている。さしあたりこれが安倍首相の考えている改憲のテーマのようです。これで試しにやってみようということで、「お試し改憲」だというわけです。
 一度やってみて、改憲と言っても大したことはないと国民に思わせ、経験を積んでから本格的に9条の第2項を変える。9条第1項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。第2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれている。だから自衛隊は軍隊ではない、自衛隊は「戦力」ではないとされています。交戦権も持っていませんから、これが改憲派の手枷足枷になっている。
 しかし、日本は独立国だから、正当防衛的な権利として攻められたら反撃することは認められると言ってきたわけです。今までは、攻撃されたらやむをえざる反撃として自衛することができる。自衛隊は侵略を拒否するための実力だとされてきた。
 ところが、今回の戦争法=安保法制では、攻撃されていなくても、外国に自衛隊を派遣してアメリカなどの戦争を手伝えるようにした。だから、海外で戦争するための法整備にほかなりません。外国で戦争するための法整備ですから、戦争法だというのは当然のことです。
 これに対して、国民の広範な反対運動が巻き起こった。「勝手に決めていいのか」「解釈で変えていいのか」「憲法に反する内容ではないか」と。違憲の内容を政府が閣議決定し、国会の多数の議席を背景に押し通す。こういうやり方は認められない。しかも、最後は皆さんテレビでご覧になったでしょう。むちゃくちゃなことをやっている。民主主義という点からも問題があるんではないかと、反対運動が広がりました。
 安倍首相が「目覚まし時計」を鳴らしたんだと、私は言っています。「民主主義の目覚まし時計」を鳴らしたんだと。それによって「目が覚めた」人達が立ち上がったんです。これは、今回の闘いの大きな成果だったと思います。
 政治を変えなければならないという必要性が理解され、そのための決意が高まりました。人々の内面における価値観が変わったということです。これは「パンドラの箱」に残った最後の「希望」のようなものではないかと思います。
 それは今でも残っている。年が変わっても、餅を食っても、忘れることはない。運動は続いています。これが今回、「国民連合政府」という目標が掲げられた大きな背景であったと思います。

   T 戦争法と憲法をめぐる対決の現段階

   (1)平和主義・立憲主義・民主主義の危機
 
 戦争法案に反対する運動の高揚を通じて、平和主義・立憲主義・民主主義の危機がはっきりと国民の目から見えるようになりました。これが戦争法と憲法をめぐる対決の大きな特徴です。
 まず、平和主義の危機です。日本が外国から攻撃されていなくとも、自衛隊が海外に出かけて行って戦闘行動に参加できるようになった。これは明確な憲法違反です。それが憲法を変えることなく実現したわけですから、立憲主義の危機でもあります。「専守防衛」を定めた9条に違反するという内容の点でも、解釈の変更による立法改憲という手続きにおいても違憲であり、立憲主義を踏みにじるものでした。
 一昨年の7月1日に閣議決定し、昨年の通常国会で95日間の会期延長をして9月19日に成立させた。一番大きな問題は参議院の特別委員会です。議長の周りをワーと囲んでマイクも吹っ飛んだ。議長からは議場が見えない。それなのに、5回も採決されたことになっている。速記録には「議場騒然、聴取不能」と書かれていた。しかし、後から議事録が出てきたら「可決すべきものと決定した」と直されている。改ざんされたわけです。
 こういうやり方で委員会において可決したことにして、本会議が開かれて成立しました。議事運営上の瑕疵があったことは明らかです。議会制民主主義という点でも大きな問題があったのではないか。国民主権の形骸化ですが、国会内で与党が多数だからできるんです。日本の平和主義・立憲主義・民主主義・国民主権原則が形骸化し、危機に瀕していることは明らかです。

    (2)戦争法が持っている問題点の顕在化
      ―――既成事実化が始まっている

 その後、戦争法=安保法制が持っていた問題点が次々に明らかになってきました。具体化もドンドン進んでいます。
 まず、自衛隊のリスクが高まるのではないかという問題です。これについて安倍首相は何度も質問されましたが、頑として認めようとしません。今まで自衛隊は戦場にはいかないことになっていました。イラクでも非戦闘地域であるという前提です。それでもミサイルが打ち込まれ、かなり危ない状況にありました。
 幸いにも戦闘行為による犠牲者は出なかった。ラッキーだったといえるわけですけれど、帰ってきてからPTSD(心的外傷後ストレス障害)で30人以上の自殺者が出ている。今後は、日本が攻撃されていなくとも恒久法でいつでも外国に行けることになりました。
 更に、「後方支援」ということで兵站活動に加わり、危ないところまで近づいていく。それまで戦闘が行われていても、今、戦闘が行われていなければ行ける。これから戦闘が始まるかもしれないが、今は収まっているから大丈夫だということで出かけていく。戦闘の間隙をぬって、自衛隊が武器・弾薬を運んでいくわけです。
 弾薬は供与する。なぜ供与するのかと聞かれたら、弾薬は消耗品だからだと中谷防衛相は答えました。発射されるからなくなるわけで、明らかにこれは戦闘行為がなされたことを意味しています。いつ戦場になるか分からないところに自衛隊がいけば、戦闘に巻き込まれるリスクが高まるのは明らかではありませんか。
 そうなる可能性が高いのは、南スーダンでのPKO(平和維持活動)です。駆けつけ警護が認められるかもしれないからです。今のところ任務の拡大はされていませんが、3月末に法が施行されると言われていますので、それ以後に派遣されるPKO部隊がどうなるかは分かりません。
 更に、「イスラム国」(IS)の脅威という問題もあります。アメリカの仲間として日本が狙われるリスクが高まっている。9月に法律が成立した翌10月、バングラディシュで日本人が1人殺されました。66歳の人で農業支援に行っていました。現地のIS支部が声明を出しています。ほとんど騒がれていませんが、今後、このような事件が起きる危険性が高まっています。
 この法律が通れば日本は安全だ、日本人は安全だと政府は言っていました。けれど、日本はアメリカの仲間だ、手下だということで、海外で日本人が狙われる危険性、国際テロ組織によってテロ行為に巻き込まれる可能性が高まっています。
 その後、パリ、オランダ、アメリカ、ロンドンでもISのテロが起こっている。日米同盟が強化され日本が反テロ戦線に加われば、リスクは減ると言っていたんですよ。この法律が通って日米同盟が強化されれば、抑止力が高まって日本周辺の安全保障環境も改善されると説明していたではないですか。
 しかし、北朝鮮は水爆実験をやると言っています。ミサイルを発射するという噂もある。自衛隊が海外に行って戦争できるようにしたからといって、日本周辺の安全保障環境が好転するなどということは全くありませんでした。抑止力が高まるなどと言うのは、全くのデタラメです。
 実際には、世界中にいる日本人も、日本周辺も、日本から出ていく自衛隊も、危ない状況になっている。そういう点では、安保法制=戦争法が日本の安全を高めたり、日本国民を安全な状況にしたり、抑止力を高めたりする効果はありませんでした。全くの逆効果だったといわなければなりません。
 また、戦争するためには、システム、ハード、ソフトを変えなければならない。システムということでは、法律や制度を変える必要があります。このシステム変更の重要な内容が今回の安保法制です。その前にも特定秘密保護法、国家安全保障会議設置法などの形で仕組み作りが進んできました。最終的には憲法を変えることになるでしょう。
 ハードということでは、自衛隊や在日米軍、日米間の軍事協力や武器・弾薬がなければ戦争はできません。部隊が新しく作られ、水陸機動団という日本型海兵隊が設置されました。イージス艦を新しく作る、オスプレイを17機購入するなどの動きがあります。新型空中給油機も導入されますが、なぜ空中で給油しなければならないのか。海外へ行くことを考えているからです。このようにして国費が無駄遣いされる。
 在日米軍基地の強化も進められています。沖縄の辺野古新基地建設は単なる引っ越しではなく、ずっと強力な新型の巨大基地建設です。滑走路は2本、強襲揚陸艦が接岸できる巨大な岸壁、弾薬庫の辺野古への集約など、強力な新しい基地を作ることを意味しています。
 ソフト面では、「闘える心」と「闘える社会」づくりが目指されています。教育と世論操作です。子供たちの心をつかみ、国のために闘って死ぬことは喜びであり誇りであるとする若者を作る。そのための愛国心教育、道徳教育を強めようとしているわけです
 マスコミによって、テロをなくして軍事力で平和を守るのはいいことなんだ、そのためには日本人も血を流さなければいけないんじゃないか、というような世論が作られていく。世論の後押しがなければ、「闘える社会」は実現できず、戦争はできません。
 戦前の日本なんかはそうです。アメリカだって世論の後押しがあってこそ、ベトナム戦争やアフガン、イラク戦争ができた。今はそのような世論の支持がないから、地上軍による介入ができなくなっているわけです。

   (3)背景と問題点

 このような安保法制=戦争法は、なぜ作られたのか。それを成立させることができたのはどうしてなのか。その背景と問題点はどこにあるのでしょうか。
 戦争法の成立は、簡単に言えばアメリカからの要請です。安倍首相自身の思いや執念もありました。その内容は、「第三次ナイ・アーミテージ報告」そのままで、今回の安保法制の中身は全部ここに書かれています。これはアメリカの要請を受け入れたもので、極右の安倍首相によって積年の課題が実現されたということになります。
 経団連からの要請もありました。武器などを輸出したり、原発を輸出したりすることで儲けようというわけです。とんでもないことです。戦争や紛争など「他人の不幸」を食い物にして金儲けを考えるということで、日本の財界も堕落してきたと言わなければなりません。
 国民の多数の反対を押し切って成立させられたのは、小選挙区制という選挙制度のお陰です。小選挙区制の害悪は大きく、これは「多数決」の皮をかぶった「少数決」にほかなりません。有権者内での自民党の得票率(絶対得票率)では、一昨年暮れの総選挙で小選挙区でも24・5%。比例代表では17%にすぎません。せいぜい4分の1の国民しか支持していないのに、過半数以上をとってしまう。小選挙区制の害悪極まれり、と言うべきでしょう。
 そういう中で、自民党自体が変わってしまった。それまでは比較的穏健なリベラル勢力が自民党の中でも一定の力を持っていました。旧大平派だとか旧田中派です。これに対して旧福田派や旧中曽根派などの右派があり、それが安倍首相につながってくるわけです。
 ハト派は対米協調で、それなりに自分たちの利害を考えていた。しかし、安倍首相は完全な従属でアメリカべったりです。アメリカの要求に従い、国民の反対を無視して突っ走るというやり方をとっている。小選挙での公認が欲しいから、反対していても執行部に楯突くことができない。国会内と自民党内での二重の「一強多弱」状況が生まれています。このようななかで、一部の野党もすり寄ってしまった。
 マスコミも大きく変わってしまいました。特にNHKのニュース番組や、読売新聞、フジサンケイグループですね。産経新聞や夕刊フジ、フジテレビ、日テレなどです。最近では、報道ステーション、クローズアップ現代、NEWS23が大きく変わってしまうんではないかと言われています。
 その結果、政治や社会のあり方が変化しない。特に、問題が起きても内閣支持率が下がらない。その一つの原因がこの辺にあるのではないかと思います。



   U 戦争法との闘いの現段階

   (1)「15年安保闘争」としての高揚

 このようななかでも、戦争法に対して大きな運動が盛り上がりました。一部では、「60年安保闘争」や「70年安保闘争」に匹敵する「15年安保闘争」として、記録に残るのではないかと言われるほどの高揚を示しました。これが戦争法との闘いの現段階です。
 今までの市民運動は、政党と一定の距離を持っていました。あまり政党と一緒にやらなかったんですが、今回は政党と一緒にやった。SEALDsの代表などが国会に参考人として出て証言する。政党の代表が国会前の集会であいさつする。このような国会の内外での市民運動と政党との連携が、今回の大きな高揚を生み出した原因の一つではないかと思います。
 地方での運動の広がりも、大きな特徴でした。国会の前や周辺だけではなく、全国津々浦々での運動の広がりは非常に大きなものがあった。『毎日新聞』2015年7月15日付の報道によれば、安全保障関連法案や集団的自衛権の行使容認に反対したり慎重審議を求めたりする意見書が393の都道府県・市区町村議会で可決され、少なくとも約4分の1の114議会では自民・公明両党系の議員が賛成しています。
 最高裁長官や内閣法制局長官の経験者、日弁連(日本弁護士連合会)も反対運動に立ち上がった。日弁連は強制加入で弁護士なら全員入らなければいけませんから、弁護士資格のある自民党副総裁の高村さんや公明党委員長の山口さんなども入っています。この日弁連は今まで声明を出すことはあっても、具体的な行動に参加することはなかったんです。
 たくさんの憲法学者も立ち上がりました。小林節さんなんか典型ですが、今回の八王子市長選挙でも応援に来ていただきました。先ほど言った市民の集いには私の前に応援演説をしてもらった。私は、言ったんです。「しばらく前まで、小林さんは向こう側にいた。去年の運動では横にいた。今日の集会では、私の前に話をしていただきました」と。
 こういう形で、どんどん変わっていくわけです。改憲派として知られていた小林さんが、護憲の方向に変わっていった。「憲法学者もたまには役に立つ」と、上野千鶴子さんは言っていました。特に,3人の憲法学者が衆院の憲法審査会で違憲だという意見(イケン)を表明した。それからです。運動が盛り上がったのは。
 特に、女性や若者が立ち上がったのが今回の特徴だと言っていい。注目を集めたのがSEALDsですが、SEALD(シールド)とは何かと言うと、「盾」という意味です。学生たちは自由と民主主義を守る盾となるために立ち上がったというわけです。
 学生だけでなく、ティーンズ・ソウルなどのように高校生も立ち上がった。お母さん方もママの会を作りました。これらに触発される形で中年のMIDDLsや高齢者によるOLLs、海外にいる日本人のOVERSEAsなどもできた。元自衛官、タレントなども国会前の集会に集まってきて反対を表明しました。これまでにない多様な団体が誕生し、重層的な運動が展開されたと言えるでしょう。
 反対の集会やデモは全国2000カ所以上、数千回で、計130万人が路上で抗議したんです。これを引き継ぐ形で2000万署名がやられていますが、産経新聞がアンケート調査をしたら、デモ参加は3・4%(20歳以上で356万人)で、「今後参加したい」が18・3%でした。これらを合わせると大体2000万近くなるわけで、これが署名提起の一つの根拠になっています。

   (2)獲得された大衆運動の新しい質
 
 こういうなかで、大衆運動の新しい姿が登場してきました。これはあまり注目されていませんが、今回の反対運動の極めて大きな特徴です。運動の中心になったのは総がかり行動実行委員会ですが、これは3つの潮流が合流したものでした。
 その一つは「戦争させない1000人委員会」という連合系の団体です。自治労とか日教組とかも加わっている。総評センターから平和フォーラムへと変わってきていますが、この平和フォーラムの事務局長をやっている福山真劫さんが事務局を担当しています。
 もう一つが「解釈で憲法9条を壊すな! 実行委員会」です、これは市民団体が中心になっているもので、高田健さんが中心です。
 3つ目が「憲法共同センター」です。これは全労連系で、小田川義和さんが事務局長をやっています。このように、連合系と全労連系が市民団体を仲立ちにして手を結んだのが、総がかり行動実行委員会でした。
 この最初の取り組みが5月3日の横浜での集会で、この近くでしたね。集会の壇上にずらっと並んで、最後に手をつないで挙げるときに、民主党の長妻さんと共産党の志位委員長が手を組まなかったんです。志位委員長が一生懸命手を出しましたが長妻さんが手を結ばなかったと話題になりました。その時はまだそういう状態だったんです。
 しかしその後、渋谷の駅頭の演説では一緒に手を結んで挙げるようになりました。運動の発展の中で政党間の関係が変わっていった。変わっていくような形で運動が影響を与えたのではないでしょうか。
 労働組合の影が薄かったと言われますが、こういう形で後ろでちゃんと縁の下の力持ち、下から支えていたということを見ておかなければならないと思います。それだけの組織的な力の支えがなければ、あれだけのことはできません。学生だけでは、国会の正門前集会をあれだけの規模で続けてやることは無理だったと思います。
 そういう点でやはり、動員ではなかったけれど組織は組織としてキチット役割を果たしていた。労働組合がそれなりの役割を演じていたということはちゃんと見て評価しておく必要があります。組織的動員ではなく、個人的参加が特徴ではあったけれど、組織や団体もそれなりの役割を演じていたと思います。
 学生や若者が立ち上がった背景には、貧困と不安があります。かつては、「世のため人のため」でしたが、今では「世のため自分のため」です。意義や理想だけで立ち上がったのではない。若い人たちは、何とか今の政治を変えないと自分たちの未来はないという思いが強かったのではないでしょうか。
 今の若者は大変です。やっと職が見つかったと就職しても、行ってみたらブラック企業だったとか、非正規でちゃんとした給料がもらえない。正規にはなったけれど、学生時代の借金が300万円から400万円。奨学金という名の学費ローンを抱えています。それほど大きな借金を抱えて就職する。そういう状況です。
 非常に展望がない状況の下で、未来を切り開くために今の政治を変えなければならない。そう思って立ち上がった。これが中野晃一さんの言う「掛け布団」です。「敷布団」というのは、従来の高齢者、中高年中心の運動で、これがズーッと続いてきた。ここに、新しい援軍が加わり、若者やお母さんたち、女性たちの運動がかぶさってきたというわけです。
 更に、インターネットによるネットワークの形成という力が非常に大きかったと思います。SNS(ソーシャルネットワークサービス)による情報の発信と共有化なしには、今回のような運動の展開は不可能でした。IT(情報通信)手段が社会運動の武器として活用され、大きな威力を発揮したのも、今後に引き継がれるべき大きな教訓であったと思います。

   (3)八王子市長選挙の教訓

 こういう流れのなかで、私も共同の力を生かそうということで、八王子市長選挙に立候補することになりました。実質3週間ほどの選挙戦です。正式の出馬要請と受諾が12月4日ですから、長く見ても2カ月にならないくらいの短期間でした。もちろん、それまで私は市長選挙に出るなどとは考えもしませんでした。
 この間、「ノー・ウオー八王子アクション」という取り組みがやられていまして、これには民主党も出てきていたんです。だから、自民党と公明党以外のあらゆる政党・政派、市民団体が結集していた。この枠組みを大切にしたいから、適当な人を探しているという話は聞いていました。
 その後、だんだんと時間が経ち、このままでいったら無投票になってしまうと心配になりました。無投票はどうしても避けなければならない。この間の八王子で続いてきた共同の枠組みを維持・拡大する点で適当な候補者がいたらいくらでも説得しますよと、私は言っていました。
 ところが、「その適当な候補者はお前だ」と言われてしまった。これで逃げられなくなっちゃった。しょうがないですね。しかも、もう時間がないから、ぐずぐず言わずに決めてくれと言う。「それなら、もっと早く相談してくれればいいのに」と思いましたが、それこそ後の祭りです。
 こうして立候補することになりましたが、共同の力はすごかったですね。僕が立候補した時、八王子の連合はすでに現市長と政策協定を結んでいました。もう支援を決めていたんです。民主党の市議会議員とも話したんですが、会派として話はもうついている、今更言われても困るというわけです。
 私は、前連合会長であった古賀さんとも多少の知り合いでしたから、古賀さんにメールして支援してもらえないか打診してみました。しかし、地元の連合が現職支援を決めているから、私の立場からは支援できませんと断られました。古賀さんも動けないというわけです。
 民主党では前から知り合いであった有田芳生参院議員が個人的に応援に来てくれました。難しい問題もあったと思いますが、嬉しかったですね。応援メッセージを送ってくれて、第一声の時にも宣伝カーの上で応援演説をしてくれました。
 1月11日の「ノー・ウオー八王子アクション」には、民主党の小川敏夫参院議員が来て挨拶しました。だから、「ノー・ウオー・アクション」の枠組みよりも狭くなったということです。しかし、民主党が脱落しましたが、維新の党はよくやってくれました。市議さんをはじめ、第一声の時に初鹿明博衆院議員が応援演説し、真山勇一参院議員は私と一緒に宣伝カーで回ってくれました。しかも、選挙事務所には小野次郎参院議員が大きな「檄」を送ってくれた。3人の国会議員と市議会議員も一所懸命に応援をしてくれました。維新の党はよくやってくれたと感謝しています。
 もちろん、共産党、社民党、生活者ネット、無所属の議員、それから様々な市民団体の人達も応援してくれた。生活の党と山本太郎と仲間たちの山本太郎参院議員からも応援メッセージが来ました。そういう幅の広がりと団結の強まりができてよかったと思います。それが今回の選挙の大きな成果だったと言えるでしょう。
 しかし、市長選挙については、ほとんどマスコミが取り上げませんでした。『東京新聞』くらいでしょうか、比較的報道量が多かったのは。市長選挙があること自体、多くの市民に知らせるのが難しい。いまだに八王子で市長選挙があったことを知らない人がいるんじゃないでしょうか。
 しかも、時間が足りない。今の市長はそれほど評判が悪いわけではなかった。良いこともしなければ悪いこともしないというわけです。可もなし不可もなしという人もいます。そういう点では、政策的対決点を明確にするのが難しかったんです。
 現職対新人ということで、私は一般の市民にとってはほとんど無名でした。サラリーマンの中では多少知られているかもしれない。『日刊ゲンダイ』に時々コメントを出していましたから。でも、こういう人たちは昼間いません。市長選挙があることも知らない。投票所にも行かない。昼間、家にいる家庭の主婦や高齢者にはほとんど知られていなかったでしょう。
 しかし、選挙活動をささえたスタッフはすごかったんです。若い人や女性が選挙スタッフとして、あるいは応援演説でも大活躍しました。最後の街頭演説の時でしたが、デッキカーに10人ぐらい並びました。男は僕と宇都宮さんだけです。あとはみんな女性です。すごいですね。こういう力が八王子で育っていたんだと再認識しました。今回の選挙戦を支え体験を共有して団結が深まりました。よかったなと思っています。
 選挙戦の雰囲気としてはすごく盛り上がった。実質3週間で5万票以上得票できた力はここにありました。私から言うのはおかしいかもしれませんが、不利な条件の下で善戦・健闘したと思います。
 他方で、投票率の低さは決定的な問題でした。これも期間が短すぎたことが大きかったと思います。安倍首相の側近である萩生田光一官房副長官の地元で一泡吹かせようという目標は達成できず、夏の参院選に向けて戦争法反対の大波を起こしたいと思っていましたが、それは残念ながらできませんでした。
  
   V 戦争法廃止をめざす連合政府の樹立に向けて

  (1) 安倍政権の強さと弱さ

 さて、これからの問題です。安倍首相は戦争法が成立して以降、経済を前面に出してなるべく戦争法には触れないようにしてきました。国民の理解を得られるようにきちんと説明すると言いながら、臨時国会も開かず逃げ回りました。
 60年安保闘争の後の池田勇人首相のような形で安保から経済へと局面を転換させようとして、「新3本の矢」を打ち出したわけです。戦争法反対で沸き立った世論の鎮静化を待ち、そのまま参議院選挙にもっていこうという作戦です。しかし、そうは問屋が卸すでしょうか。
 内閣支持率は徐々に下がってきました。それでもまだ4割ですからね。支持率は株価と連動しているのではないかということで『株価連動内閣』と言われています。今後、この株価がどうなるかが注目されます。年初からかなり下がってきていますが、これからはもっと下がるのではないでしょうか。
 アベノミクスによる「3本の矢」がうまくいかないから、新しい「3本の矢」が必要になりました。経済を前面にということで支持の拡大を図ろうとしていますが、国民にとっては景気回復の実感がありません。実質賃金はマイナスで停滞している。「生涯派遣」を可能にして非正規が拡大し、介護離職ゼロなんて言っていますけれど、介護報酬の引き下げで介護の現場が深刻化しています。待機児童も増加しています。TPP(環太平洋経済連携協定)もこれから大きな問題になります。
 甘利明経済再生相が「政治とカネ」の問題で辞任に追い込まれました。これも大きな問題です。いろいろ説明していましたが、甘利さんの説明はアマリ説得力がない。しかも、今時あんなことやっているのかと思った国民も多かったでしょう。
 大臣室に建設会社の社員がきて、手土産で虎屋の羊羹をもらい中を開けたら熨斗袋が入ていて50万円だったというんですね。まあ、時代劇ですよ。折詰めの下を見たら小判が並んでいたようなものです。「越後屋お前も悪よのー」などと言われかねませんが、私は越後の出身ですから大いに迷惑です。
 しかし、甘利さんはよく言ったものですね。「いい人だけと付き合っていたら当選できない」と。やっぱり「悪い人」と付き合っていたということでしょう。自民党で当選している人は、みな「悪い人」と付き合っていたということになります。ああいうことを、ついポロリと言ってしまう。安倍政権発足以来最大のスキャンダルで、今後どうなるか。かなり政局に影響を与えるでしょうね。
 しかも、後任が石原伸晃さんです。野党の中では期待が高まっています。また、何かやったり言ったりしてくれるんではないかと。今までも、言ってはいけないようなことをいろいろと言ってしまう「失言居士」でしたから。
 安倍さんは衆参同日選挙を展望しつつ、4月にも解散するかもしれないなどという噂があります。参院選のある夏にかけて攻勢をかけようと、1月4日から国会をはじめました。なぜ1月4日かというと、衆参同日選挙ができる選挙日程を組めるようにするためでした。その可能性は今でも残っています。
 また、最近は、3月解散、4月解散などと言われていますが、こういう状況になってくると、有利な態勢のもとで解散というわけにはいかなくなります。ほかの閣僚にも高木さんとか危ない人が何人もいますし、国会日程もずれ込んできている。当初のもくろみ通りに、攻勢的な形で解散・総選挙、あるいはダブル選挙というふうにいくのか。不確定要素が増えているように思います。

   (2) 戦争法案反対から安倍政権打倒への発展・転化

 このようななかで、安倍政権打倒に向けての運動を高める必要性、可能性が強まってきています。戦争法案反対から安倍政権打倒へと運動を発展・転化させなければなりません。
 戦争法は9月19日に成立しました。19日は国会前に「いくひ」という形で運動を継続し、参院選だけでなく各種の選挙で与党の敗北をめざすとともに2000万署名運動に取り組むことが必要です。これは先ほど言った総がかり行動実行委員会の呼びかけですが、皆さんはすでに取り組んでおられると思います。2000万署名運動によって世論を変えていかなければなりません。
 戦争法の成立とともに、間髪をいれず「戦争法廃止の国民連合政府」の提案が共産党からありました。19日の午後のことです。民主党は「しまった」と思ったでしょう。共産党がやりましたね。成功すれば共産党の得点、失敗すれば民主党の責任になりますから。「うまいことやったなあ」と、そう思いました。
 この「国民連合政府」実現の課題がひとつの焦点になっているわけで、そのために参院選の一人区対策が重要になっています。参院選では前回、民主党は負けていますから現職は多くない。特に1人区はそうです。新人ばかりです。したがって選挙協力はそれほど難しくありません。自分の党に、という事にあまりこだわらなければですが。
 参院での与野党の差は28ですから、15議席の入れ替わりで逆転することができる。3分の2を与党が獲得するのはなかなか難しい状況です。改憲派の大阪維新の会がどれほど復活するかですね。それを含めて3分の2突破を安倍さんは考えているようですけれど、逆に言うと与党による3分の2を阻止することはそれほど難しいことではない。
 自民党は6年前の選挙でも圧勝しました。さらにそれに上積みしなければなりませんから、闘い方次第では野党にとってもチャンスが訪れる。たとえば、次の選挙から1人区が2議席減ですが、これは自民党の議席です。それから、18歳選挙権が実施されて240万人の新たに若い有権者が増える。
 18歳選挙権を決めた時、自民党は若い者はみんな「右」だと思っていたかもしれませんが、あにはからんや、その後、安倍首相が「民主主義の目覚まし時計」を鳴らしてしまった。ですから、若い人の中からも「目覚めた」人が出てきている。18歳選挙権が必ずしも与党や自民党にプラスになるとは限りません。
 安保法制、TPP、消費税再増税、原発再稼働、辺野古新基地建設など、与党にとっては厄介な問題が山積しています。いずれも参院選での争点になる。特に、TPPはどうするんですかね。総選挙の時に石原さんはTPP反対だと答えています。必ず国会で追及されます。TPP審議はかなり難航するんではないかと思います。
 消費税再増税問題も、今日の新聞で話題になっていますが、軽減税率をめぐって混乱が生ずる可能性があります。日銀初のマイナス金利もアベノミクスが行きづまったことを示しているわけです。株価が乱高下しながら下がってきている。マイナス金利による円安・株高効果は2日しかもたなかった。
 ということで、夏に向けて経済や金融の先行き不透明、特に株価がどうなっていくか、経済見通しでも厳しい状況が生まれてくる。結局、経済を再建するためには、賃金と労働条件を引き上げなければなりません。つまり、国民がお金を使えるようにしなければ国内市場は拡大せず、景気は回復しない。この間のアベノミクスの失敗によって、これは明確になっています。
 もう一つ言わなければならないのは、甘利辞任という「政治とカネ」の問題を見ても、企業・団体献金を禁止しなければ解決できないということです。ズーッと今まで、政治改革のためには企業・団体献金を禁止しなければならないと言い続けてきたことは正しかった。このことが今回の甘利事件は示しています。
 つまり、革新懇、政治革新を求めてきた皆さんの主張が正しかったということです。出口はここにしかない。その主張はますます輝きを増していると思います。
 選挙協力ということでは、2009年衆議院選挙で政権交代がありましたけれど、この時、実は共産党の陰ながらのアシストがありました。共産党は148の小選挙区で候補者を立てなかった。共産党の支持者はどこに入れるかというと、民主党に入れたんです。それで民主党が大勝利した。
 民主党はこのことを多分知っている。だから、今回も最後まで知らん顔をしていれば共産党は自主的にアシストしてくれるんではないかと、甘い期待を抱いているのではないでしょうか。しかし、それは甘い。
 この時のことから、共産党も教訓を得たのです。陰ながらのアシストだと民主党は裏切るという。それにストップをかけられない。今回は、とにかく自民党を少数にすればよい、というわけにはいきません。多数になった民主党が裏切ることなくキチッと戦争法廃止という筋を通すかどうか、確実にしなければならない。陰ながらアシストします、というわけにはいかないのです。ここのところがポイントです。



   (3) 今後の対決と条件

 戦争法の廃止をもとめる運動を継続しつつ、選挙協力を実現させるという事が必要です。これは一部で実現してきています。熊本では共同でやると言っています。他方、北海道5区の補選の問題が今焦点になっていますが、うまくいっていません。
 問題は民主党です。自分のところで、と固執しているために共闘が進まない。そういう点から言っても「民共合作」、民主党と共産党の連携・協力が必要であり、民主党がカギを握っています。連合や日本会議のメンバーによる妨害を排して、野党共闘に踏み出すかどうかが注目されます。
 民主党にプレッシャーをかけることで、「民共合作」を実現していかなければなりません。市民連合の結成だとか国民運動委員会の結成などの動きがありますが、これらの力を強めて民主党と共産党をどう提携させていくかが今後の問題です。山口二郎さんなんかは、民主党いい加減にせんかい、と言っていますし、小林節さんも共産党とやらないで、どこを見て話をしているのか、安倍と一緒にでもやるのか、と言っています。
 こういう選択を提起する。民主党に迫っていくことが大切なのではないでしょうか。野党共闘を後押しする勝手連なんかもできているということですが、こういう動きをさらに強めていく。ぜひみなさんも、野党共闘でいこう、民主党しっかりせいという世論を高めていただきたいと思います。
 この点では、歴史の教訓に学ぶことが必要です。中国では「国共合作」=国民党と共産党が連携・協力することで辛亥革命を実現しました。これは第一次国共合作で、抗日戦争の勝利が第二次国共合作です。それまで殺し合っていた国民党と共産党がもっと大きな目的のために手を結んだ。そしてそれを達成した。こういう歴史的教訓を学ぶ必要があります。
 フランスでは1968年に「5月革命」と言われるような学生運動の盛り上がりがありました。社会党はその後の総選挙で大敗し、再建大会をエビネというところで開いた。ここで新生社会党が新しい綱領を決めます。それが社共連合政府綱領でした。執行部も一新して、新しく第一書記に選ばれたのがミッテランです。
 この大会が1971年でした。それから10年後の1981年にフランス社会党第一書記だったミッテランは大統領選挙に立候補して当選するわけです。解党の危機と言われた社会党は、共産党との連携を強める方針を決めた大会から10年後に政権獲得に成功した。これもまた重要な歴史の教訓です。
 日本だって、薩長同盟と坂本竜馬の例があります。小沢一郎さんは薩長同盟がなかったら明治維新は実現しなかったと言いました。まさにそうです。薩摩と長州がひそかに手を結び、幕藩体制を倒した。「安倍幕藩体制」を倒すには、現代の「薩摩と長州」=「民主党と共産党」が手を結ばなければならない。そういう歴史の教訓を学ぶ必要があります。
 その仲立ちをしたのが坂本龍馬でした。現代の坂本龍馬は誰か。それは皆さんです。皆さんを含めた世論が仲立ちしなければならない。戦争法廃止の国民連合政府樹立をめざす運動と世論によって共同を実現しなければなりません。
 野党共闘を一緒にやれ! 自民党を倒すには、どのような相手とだって手を組まなければならない、好き嫌いを言っていられるような状況なのか、という声を大きくしてください。できないからと言って逃げてはいけません。できないことをやるから、世の中は変わるんです。できないと思われることが実現したときに歴史は動くんです。そういう気概を持って取り組まなければ、政治も歴史も変えることはできません。

   むすび

 野党がバラバラでは勝てない。「野党は共闘」の声を高めて、働きかけを強めることが必要です。「新しい市民革命」は、そういう中でしか生まれてきません。今までと同じようなやり方をしていたのでは、今までと同じ結果しかもたらさない。新しい、今までにない取り組みを行うことによって飛躍が生まれるのです。
 そのためにも、政治について知り、学び、発言し、行動することが必要です。このような形で自覚的に行動する新しい市民が、部分であるかもしれないが、誕生してきています。その条件を最大限に生かさなければなりません。
 できるところで、できることを気軽に軽やかにやることです。無理をする必要はありません。ふらりと立ち寄って、気軽に参加できるような楽しい運動を工夫していただきたいと思います。できることをやればいいんです。
 同時に、決断して、多少できないかもしれないことにチャレンジしなければならいときもあります。それぞれの条件に応じて、決断の内容は様々でしょうが、私は、今回そういう立場に立たされました。まあ、私にとっては出来ることの一つではあったんです。2年前に仕事を辞めていますし、選挙に落ちたからといって何も失うものはありませんから。
 現役の人なら、落選した後の仕事をどうするんだということもあるでしょう。生活の問題などもあります。しかし、私はそうではなかった。これならできるんじゃないかと決断したわけです。ある意味では、気軽に引き受けたんですけれど、候補者というのは思っていた以上に過酷でしたね。その点では、かなり甘かったと思います。
 労働組合や労働者としても、それぞれの条件を生かして国民連合政府実現に向けての運動に取り組まなければなりません。さし当りは春闘を闘うなかで、賃上げや時間短縮などと結び付けてこの課題を追求していく必要があります。
 また、通常国会では、これから労働法制の問題で「残業代ゼロ法案」と言われている高度プロフェッショナル制度についての労働基準法改正案が出る可能性があります。マイナス金利が導入されましたが、これは市中銀行が日銀にお金を預けずに、貸し出しをしやすくするためのものです。企業はこのお金を借りて設備投資や賃金引き上げにまわしなさい、というメッセージが込められています。
 このメッセージを背景に、堂々と春闘で賃上げを要求しなばければなりません。これは国策として打ち出されているものですが、それに寄り掛かることなく、労働運動の力を発揮し、賃上げを実現して可処分所得を増やさなければなりません。それは景気回復のためにも必要なことです。
 賃金を上げて、消費税の再引き上げをストップする。これが日本経済を救う最善かつ最短の道です。声を大にして、このことを訴え、春闘での勝利を目指してがんばっていただきたいと思います。その過程で安倍政権を追い詰めていくことができれば、参院選での勝利や国民連合政府実現への展望を切り開くことができるにちがいありません。
 皆さんがその先頭に立たれることを期待いたしまして、私の話を終わらせていただきます。




1月25日(月) 闘い済んで日が暮れて、また新しい闘いが始まる [選挙]

 八王子市長選挙の結果が出ました。以下の通りです。

いがらし仁 無所属 51,811
石森孝志 無所属 93,641
投票率 32.60%

 残念無念という結果になりました。皆さんの期待に応えられず、申し訳ありません。
 5万人もの方に支持していただきました。有難いことです。
 これも、共同の力が発揮されたからです。支持し、様々な形で応援してくださった全ての皆さんにお礼申し上げます。

 「敗軍の将、兵を語らず」と申します。全ては候補者であった私の責任です、と言いたいところですが、敗因ははっきりしています。
 相手は現職の市長であったにもかかわらず、私は無名の新人であり、それを覆すだけの時間がなかったからです。私は元大学の教授で、著書を出したり、雑誌や『日刊ゲンダイ』などの新聞で名前が出たり、各地で講演をしたりしていましたから、それなりに「知名度」はありますが、それは限られた範囲であり、八王子市内ではほとんど知られていませんでした。
 特に、中高年層や主婦などには、全く「無名」でした。市長選挙があることも知られていず、新人候補としての私についての知識もほとんどないという状況から出発したのが、今回の選挙だったのです。

 しかも、このような不利な条件を克服するには、時間が足りませんでした。出馬表明の記者会見を行ったのが告示日約1カ月前の12月18日で、最初の街頭での演説が投票日約1カ月前の12月23日というあわただしさです。
 それから年末年始の休みに入り、選挙運動が本格化したのは、1月8日の「いがらし仁と市民のつどい」からです。ほとんど2週間ほどの運動期間しか残されていませんでした。
 あまり名前や政策が知られていず、それを浸透させるための期間がたった2週間ちょっとしかなかったのに、5万人を上回る人に投票してもらえたことの方が奇跡的だと言うべきでしょう。石森さんは現職の市長ですから、過去4年間、選挙運動を行ってきたようなものなのに得票は9万票、私はたったの2週間なのに得票は5万票だったのですから。

 このように選挙運動の期間は短く、しかも八王子の市域は極めて広く、市街地や団地が分散しています。選挙に関心を持っていただき、私の名前や人物像、政策などを知っていただくには大きな制約がありました。
 それを打破するために、インターネットでのホームページ作成やビラの内容に工夫を凝らし、配布にも力を入れました。この点での成果は大きく、一つの典型を生み出したと言って良いでしょう。
 しかし、それに関心を持ってアクセスする層は若い人に多く、これらの人がこぞって投票に出かけるというところまでは浸透しませんでした。新たに八王子にやってきてニュータウンなどに住み、市政についての関心を持たない「沈黙の艦隊」を動かすには至らなかったということでしょう。

 その結果が、投票率の低さに現れています。近くの投票所に行って投票率が前回とほとんど変わらないのを見たとき、結果の厳しさを予感しました。
 投票する人が少なかったために、組織的な基盤のある方が有利になりました。自民党市議の後援会、創価学会や町内会、労働組合の連合などの力が、そのまま石森さんの得票になって現れています。
 それに対して私は特定の組織的基盤を持たず、市民の共同の力が頼りでした。その広がりはあったものの、幅広い層に浸透して投票率を上げるまでの時間的な余裕が欠けていたということです。
 維新の党の市議と共産党の市議が一緒に宣伝カーに乗って肉まんを食べるという光景に示されるような共同の広がりがありました。しかし、残念ながらそれは八王子に古くから根ざす「おっさん政治」の壁に跳ね返されてしまったのです。

 この悔しさをバネにして、新たな挑戦に向けての準備を始めるべきでしょう。この間の運動で育ってきた若い力や新たな共同の枠組みを今後の取り組みに活かすことが求められます。
 それに私がどうかかわるかは分かりませんが、求められれば、どのような役割でも果たす覚悟はできています。この間の選挙戦を通じて、候補者としての私も鍛えられましたから。



12月24日(木)八王子市長選挙に向けて事実上の「第一声」 を挙げた [選挙]
 (2015-12-24)

  

◆「いがらし仁さんとともに八王子を変える!」のサイトより。
  http://www.project-8.com/

 (2016年1月24日投票)八王子市長選

 
 
 

12月24日(木) 八王子市長選挙に向けて事実上の「第一声」 を挙げた [選挙]

 

 昨日、八王子市長選挙に向けての事実上の「第一声」を挙げました。南大沢では70人、八王子駅北口では200人の方が参加してくださいました。
 南大沢は、私が初めて八王子に足を踏み入れた思い出の地です。そこで市長選挙に向けての第一歩を踏み出したというわけで、感慨深いものがありました。
 あいにくの冷たい雨の中、1時間の間、じっと立って話を聞いていただきました。有難いことです。
 おいでいただいた方に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 演説が終わってから、握手をしているとき、「私が分かりますか」と声をかけられました。最初は分かりませんでしたが、名乗られて初めて思い出しました。

 17軒しかない故郷・旧頚城村の集落「下米岡」で、1学年下の遊び友達だった女性です。ご主人も紹介されました。
 一緒に、わざわざ私の話を聞きに来てくれたというわけです。驚きました。
 同時に感激もし、励まされました。このような出会いがあるとは、考えてもいませんでしたから。

 なお、昨日行った街頭演説は、次の通りです。そのままというわけではありませんが、演説に備えて準備した予定原稿をアップさせていただきます。

 私は12月18日の記者会見で、1月24日実施の八王子市長選挙への出馬を表明しました。皆さんは驚かれたことだと思いますが、私としても青天の霹靂であり、びっくりポンであります。
 しかし、広範な市民からの要請を受け、それを受諾することを決断いたしました。政治学の講義で、選挙とは「出たい人より出したい人」を候補とするべきだと話してきた私としては、その「出したい人」が私だということであれば、拒むわけにはいきません。
 逃げてはならない、と思いました。出てくれと頼まれて逃げるのは、私の流儀でもありません。ひと肌もふた肌も脱いで、火中の栗を拾う覚悟です。

 私が立候補を決断した理由は、主に2つあります。その第一は、安倍暴走政治をストップさせたいということです。
 八王子は安倍首相の側近として知られる萩生田光一内閣官房副長官の地元です。石森市長はその子分ですから、落選させれば萩生田さんにとって大きな痛手となることでしょう。安倍首相にも一泡吹かせることができます。
 同じ1月17日告示、24日投票で沖縄の宜野湾市長選挙実施されますが、ぜひ西と東で勝利したい。それは、参院選に向けての跳躍台となるにちがいありません。
 今の日本は、平和と民主主義、立憲主義が危機に陥っている危急存亡の時です。このような時、日本が壊れていくのを座視しているわけにはいきません。
 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉があります。私の故郷・越後の英雄である上杉謙信は「義の人」でした。私もそうありたいと願っています。

 立候補を決断した第二の理由は八王子が「第二の故郷」だということです。その役に立ちたいという強い思いがあります。
 約30数年前、南大沢に引っ越してきました、その後、平山城址公園、北野、長房と移り住み、八王子での居住は故郷の新潟よりも長くなりました。
 職場であった大原社会問題研究所は法政大学多摩キャンパスにあり、そこは八王子市と町田市にまたがっています。母校の都立大学は「首都大学東京」と名前を変えて南大沢にやって来ました
 下の娘は北野で生まれ、八王子で育ちました。このような縁からしても、八王子のためにこれからの人生を捧げるのは「天命」であり、その「天命」に従いたいと考えた次第です。

 これからの選挙戦では、主として三つのことを訴えたいと思います。第一に、あらゆる「災い」から市民の平和、くらし、環境を守る市政への転換、第二に、「攻めと破壊のまちづくり」から、福祉と緑のまちづくりへの転換、第三に、トップダウンではなくボトムアップによる共同と対話の町づくりへの転換です。

 第一は、あらゆる「災い」から市民の平和、くらし、環境を守る市政への転換です。「防災都市」は石森市長も掲げていますが、これは自然災害だけを対象としたものです。しかし、命とくらしを脅かす「災い」は、それだけに限られません。
 戦争か平和かという問題も重要です。八王子空襲には多くの市民が巻き込まれた過去があります。テロの脅威も高まっています。市長として安保法制に反対するのは当然であり、その廃止を求めます。
 消費税10%では業者はやっていけません。営業とくらしを守るために再増税に反対するのも当然でしょう。偽りの軽減税率ではなく、10%への再増税を中止するべきです。
 TPPが結ばれれば安くていかがわしい食料品が流入してきます。小零細・兼業農家は壊滅し、農村のコミュニティは崩壊します。それを防ぐためには、農業振興だけでなく農家に対する支援が必要です。
 沖縄米軍基地も八王子の市民生活と無縁ではありません。近接する横田にオスプレイが訓練飛行でやってきます。沖縄に基地があるからこその飛来です。地元自治体が強く反対している辺野古新基地建設の強硬は、自治の破壊であり、地方自治体の首長としては見過ごすことのできない問題です。
 原発についても、もし事故が起きれば放射能は漂っきます。高濃度放射能廃棄物を処理する展望も示されていません。市民の安全を脅かす原発再稼動に反対し、再生エネルギーを中心とした循環型経済への転換を図っていきます。
 平和、安全、安心は市民生活の土台であり岩盤にほかなりません。ここに「杭」がとどかない市政は違法建築のマンションのようなものです。市民の力で取り払い、岩盤にガッチリとした「杭」を打ち込んで市政を立て直そうではありませんか。
 
 第二は「攻めと破壊のまちづくり」から、福祉と緑のまちづくりへの転換という問題です。石森市長は「攻めのまちづくり」をスローガンにしていますが、「攻め」は右肩上がりの時代のもので、開発行政主体のまちづくりは時代遅れです。
 経済社会環境は大きく変化し、少子・超高齢化が進んで「イケイケどんどん」という時代は終わりました。これからは「量の拡大」ではなく、「質の充実」が求められています。
 鉄とコンクリートの町づくりにおさらばしなければなりません。鳥も通わぬ緑も芽吹かない「石の森」を「五十の嵐」で吹き飛ばし、福祉と緑の町にかえようではありませんか。
 とはいえ、石森市政の全てを否定するわけではありません。市民のためになる施策を継承するのは当然のことです。
 問題は優先順位にあります。限られた財源をどう効果的に生かしていくかということが問われています。私は、子ども、若者、女性、お年寄りのために使いたい。弱者優先の市政に順位を変えていく。命とくらし優先の温かい市政にしていきたいと思っています。
 先日の新聞にティッシュの味は甘いという記事が出ていました。このようなティッシュの味が分かる子どもを八王子で生んではなりません。夏休みが終われば痩せる子供がいると言います。しかし、給食が十分に行き渡っていない八王子はずっと夏休みのようなものではありませんか。
 また、八王子の特徴を生かした町づくりということも必要です。八王子は首都東京の郊外にあり、都市型社会と農村型社会が入り混じっているという特徴があります。商業と農業の連携、緑を生かした環境整備などを通じて、生活しやすい、定住したくなるような住環境を生み出していくことも重要な課題だと思います。

 第三に、トップダウンではなくボトムアップによる対話と共同の町づくりへの転換です。どのような政策を掲げるかは重要ですが、それをどのように実行するかということも大切です。対話を通じた合意形成こそが、運営手法の基本とされなければなりません。
 自治には二つの面があります、団体自治と住民自治です。この両方を強めていくことが必要です。
 八王子は中核市になりましたが、これは団体自治の強化という側面に当たります。こうして強められた自治体権限を、市民のために活用することが必要です。
 また、住民自治の強化のためにはボトムアップが重要になります。これからの市政には市民と共に街づくりを進めるという姿勢が求められます。
 もう一つ重要なのは、市内部でのボトムアップです。職員との共同と対話にも留意し、衆知を集めてより良い市政に転換していきたいと思います。八王子には潜在力があり多くの可能性があります。職員とともに、それを最大限発揮できるような環境づくりに力を尽くすつもりです。
 現職は何でも分かっていると勘違いしやすいものです。周りの声に十分耳を傾けないという弊害が生まれます。新人の私にとって、このような勘違いは無縁で周りの声に十分耳を傾けなければやっていけません。これが新人としてのメリットであり、強みだと思います。この「強み」を活かして対話と共同の町づくりを進めていく所存です。

 私の名前は仁と書きます。仁とは「人をいつくしむ心」のことであり、それは政治の目的でもあります。
 「仁の政治」を掲げ、安倍暴走政治のストップ、夢と希望に満ちた緑の学園都市・八王子を実現するために、皆さんと共に力を合わせて勝利をめざしたい。その決意を表明して出馬のごあいさつに代えさせていただきます。

 実際の演説は以下の通りですので、ご覧いただければ幸いです。予定原稿通りに話すのは、なかなか難しいものです。
 かなり変わってしまいました。端折ったところも多々あります。
 
  五十嵐仁を囲む街角市民集会 2015.12.23
    https://youtu.be/ux0omxxTiD8
    https://twitter.com/I_hate_camp/status/679692882828111873

△初出:「「五十嵐仁の転成仁語」 (2015年12月24日(木))  http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2015-12-24




 2015年は敗戦から70年目に当たります。このため、先の戦争と「戦後70年」をどのように振り返り、総括するのかが改めて問われることになりました。二度と侵略戦争と植民地支配を繰り返さず、戦後の出発点に際して行った不戦と平和の誓いを引き継ぐことが、今ほど重要になっているときはありません。それは今に生きる私たちの責務であり、現役世代の務めだと言えるでしょう。
 戦後の日本は、アメリカの政治的軍事的従属下におかれ、基本的には自民党などの保守政党によって統治されてきました。その結果、日本の平和と民主主義、国民生活は、日米両支配層による攻撃にさらされ、破壊されてきました。同時に日本の戦後は、日本国憲法のもとで、このような攻撃を跳ね返し、平和と人権、民主主義、国民の生活を擁護するために、労働者をはじめとした国民がねばり強くたたかい続けてきた70年でもありました。
 このようなたたかいの意味は、どこにあったのでしょうか。それはどのような力を生み出し、いかなる成果をもたらしてきたのでしょうか。とりわけ、労働運動や社会運動の果たした役割はどこにあったのでしょうか。
 憲法を守るとともに、それを戦後政治と国民生活に定着させ、その理念や条文を具体化する力として、戦後の労働・社会運動は大きな力を発揮してきました。このようななかで、統一戦線の結成を目指す運動も、かつての革新共闘から今日の国民的共同へと引き継がれてきています。
 それをさらに発展させ、憲法を政治と生活に活かすことができる新しい民主的政府への展望を切り開くことが必要です。そのために、生産をにない組織された社会的勢力としての労働運動の役割はますます重要になってきています。


    一、戦争に反対し平和を守るたたかい

 国民に歓迎された平和憲法

 憲法は前文で平和的生存権を定め、第9条で戦争放棄と戦力不保持を規定しています。同時に、交戦権も否定していますから戦争することはできません。集団的自衛権行使容認のための「戦争法制」の提案に当たって政府が「武器の使用」と「武力の行使」を区別して後者を否定しているのは、「武力の行使」が「交戦権」の使用を意味することになるからです。
 このような憲法の平和理念は、国民の圧倒的多数に支持されました。日本を滅亡のふちに追い込み、悲惨な結末をもたらした戦争はもうこりごりだと思ったからです。このような国民感情に真っ向から挑戦したのが再軍備の構想であり、日米安保条約による日米軍事同盟の締結でした。
 1950年の朝鮮戦争を契機に始まった警察予備隊の結成、保安隊への改組、さらには自衛隊の発足へと至る再軍備に対しては、「平和4原則」を掲げた総評などによる反対運動や「全面講和」を求める運動がありました。しかし、1951年にサンフランシスコ講和条約が調印され、米軍に基地を提供するための旧安保条約も締結されます。こうして、日本は西側陣営の一員に組み込まれることになりました。

  戦後憲法体制を定着させた60年安保闘争

 1957年に「日米新時代」を掲げて登場した岸信介首相は旧安保条約を「片務的」であるとして改定をめざします。この安保条約改定交渉をめぐって激しい反対運動が生まれました。条約の改定に反対する国民的な大衆運動(安保闘争)は、空前絶後の規模で展開されていきます。
 安保闘争は60年に入ってから急速に盛り上がり、連日、デモの波が国会周辺を取り巻くようになります。窮地に陥った岸内閣は国会での強行採決によって会期延長と条約承認を議決し、安保条約の自然成立を図りました。この後、安保闘争は大きく高揚しますが、条約は改定されます。とはいえ、大きな成果を上げることができました。
 その第1は、強行採決を行って議会制民主主義を破壊した岸首相の退陣をもたらしたことです。条約の批准書交換を見届けた岸首相は政権維持をあきらめて退陣を発表し、その地位を退きます。
 第2は、大衆運動の大きな力を示すことができたことです。民意に反する為政者は倒すことができるということ、それが主権在民に基づく民主主義なのだということを学んだ国民は大きな確信を得ることになりました。
 第3は、保守勢力にも大きな教訓を与え、戦後憲法体制の定着をもたらしたことです。戦前型の政治モデルの復活を夢見ていた岸首相などの戦前派政治家の野望は打ち砕かれ、憲法を前提にした戦後型の政治モデルへの現実的な対応が保守政治においても主流になっていきました。
 こうして、安保闘争は戦後日本政治における大きな転換点を画すことになります。その転換をもたらしたのは広範な国民の反戦意識であり、議会制民主主義の擁護を掲げた大衆的な運動の高揚でした。それは保守勢力に対しても痛撃を与え、改憲と再軍備をめざす勢力の発言権と影響力を大きく低下させることになったのです。

 労働運動の果たした役割

 このような安保闘争の盛り上がりにおいて、労働運動が果たした役割は決定的なものでした。安保闘争と並行してたたかわれていた三池闘争と同様に、中心になったのは日本労働組合総評議会(総評)です。総評、中立労連、社会党など13団体で安保条約改定阻止国民会議(安保共闘)が結成されますが、そのイニシアチブを取ったのは総評でした。
 国民会議の加盟団体は総評系組合53,中立組合20,婦人団体4,青年団体5,農民組合1,市民団体6,平和団体10など計138団体 (のちに約300団体)です。幹事会は呼びかけを行った13団体とオブザーバーの共産党で構成されました。これらの団体のなかでも総評の行動力と動員力は圧倒的で、運動の節目では全国的なストライキを呼びかけています。
 なかでも、1960年6月4日の安保改定反対にしぼった最初の大規模な実力行使には国労や動労のストなど総評系57単産、中立労連19単産が参加し、統一行動参加者は560万人、一般市民も参加した国会デモは13万人という大規模なものでした。6月15日の第2波実力行使にも211単産、580万人が参加しています。
 ようやく最近になって「デモの復権」が言われ、脱原発や「戦争法制」反対を掲げて官邸前集会や国会周辺でのデモなどが頻繁に取り組まれるようになりました。しかし、そこでの主役は必ずしも労働組合ではなく、政治的なストライキが取り組まれるようなこともありません。ここに安保闘争との大きな違いがあります。「安保のように」たたかい、それに匹敵する規模の運動を実現するには、労働運動のさらなる奮起が必要なのではないでしょうか。

   二、基地反対闘争と「平和的生存権」を守るたたかい

 基地の拡張反対、返還要求、騒音被害などに対するたたかい

 平和憲法の理念を生かすたたかいは、軍事基地に対しても向けられました。1950年代には内灘試射場反対運動、浅間山基地化を阻止した運動、妙義山接収計画を撤回させた運動,北富士演習場使用に対する反対闘争,砂川基地拡張反対運動など、さまざまな基地反対闘争が起きています。
 このうち、米軍基地の拡張に反対して学生が基地内に入り込んで逮捕された事件(砂川事件)では,59年3月に東京地裁の伊達裁判長が被告を無罪とする画期的な判決を下しました。在日米軍は憲法9条違反であり,刑事特別法は違憲・無効だとしたのです。これが有名な「伊達判決」です。
 あわてた検察側は高裁段階を省略して跳躍上告し、最高裁は伊達判決を破棄しました。これが集団的自衛権の行使容認の論拠の一つとされている59年12月の最高裁砂川判決です。
 しかし、この裁判で問題とされていたのは在日米軍の基地であって集団的自衛権という言葉は登場していません。また、田中耕太郎最高裁長官は事前に米駐日公使と密談して判決内容を漏らすなど、裁判官の独立を定めた憲法76条に違反する疑いのある行動をとっていました。
 60年以降も、新島ミサイル試射場反対運動、忍草母の会による北富士演習場返還運動、三宅島夜間発着訓練基地建設反対運動などがありました。このような運動は、百里基地などの自衛隊基地返還要求運動や小松・厚木・横田などの基地騒音被害への抗議・反対運動にも引き継がれています。
 最近、自衛隊による垂直離着陸機(オスプレイ)の購入と佐賀空港への配備、米空軍のオスプレイの横田基地への配備計画などが明らかになりました。このような新たな軍備増強計画に対する反対運動も始まりつつあります。これらも反基地闘争の一環であり、平和憲法の理念を具体化する取り組みの重要な構成部分にほかなりません。

 沖縄での基地反対闘争

 基地の新設や拡張反対、整理・縮小や撤去を求める運動が、とりわけ激しくたたかわれたのは沖縄です。日本に置かれている米軍基地の約4分の3が沖縄に存在するのですから、それも当然でしょう。いわば、沖縄は安保と憲法との対決点に位置していることになります。
 沖縄では施政権返還・本土復帰に向けての運動とともに、自衛隊の移駐反対、米軍基地の拡張反対、基地の整理・縮小・移設、核兵器の撤去などを掲げた運動が取り組まれてきました。しかし、本土復帰後も基地負担の軽減は遅々として進んでいません。
 そればかりか、日本政府が基地負担を沖縄に押し付けるような転倒した関係も生まれています。その典型がオスプレイの普天間基地への配備や辺野古での新基地建設であり、高江ヘリパッド(簡易発着場)の建設などでした。
 沖縄にとって本土への復帰は日本国憲法の下への復帰であったはずですが、現実には憲法よりも安保の方が優先されています。これを逆転させなければなりません。辺野古の新基地建設に反対する「オール沖縄」のたたかいこそ、このような憲法の平和主義を現実のものとするための取り組みにほかならないと言えるでしょう。

 「平和的生存権」をめぐる取り組み

 憲法は前文で「平和のうちに生存する権利を有することを確認」しています。これが「平和的生存権」と言われるものです。この権利を守るためにも、自衛隊の違憲性を問題とし、具体的な被害の除去が目指されてきました。
 たとえば、北海道の恵庭町に住む酪農家が演習場の騒音によって牛乳の生産量が落ちたとして通信線を切断して自衛隊法違反に問われた事件(恵庭事件)があります。これは自衛隊法が合憲か違憲かが争点となって注目されました。しかし、札幌地裁は憲法判断を行わず、通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして被告人に無罪を言い渡し、これが確定しました。
 また、長沼事件では、北海道長沼町での航空自衛隊のナイキミサイル基地の建設に反対する住民らが原告となって自衛隊の違憲性が争われました。札幌地裁の一審判決は自衛隊の実態審理を行ない、国民の「平和的生存権」を根拠に自衛隊は軍隊であって憲法に違反するとの画期的な判決を出します(長沼判決)。しかし、控訴審判決は政府側の主張をほぼ全面的に認めて、原判決を取消しました。
 さらに、航空自衛隊のイラク派兵が憲法違反であることの確認などを求めた訴訟(自衛隊イラク派兵差止訴訟)で、名古屋高裁は「アメリカ兵等武装した兵員の空輸活動を行っていることは,憲法9条1項に違反する」との違憲判断を行って確定しました。このような判決は初めてで,歴史的な意義を有する画期的な判決だといえます。また、平和的生存権について、「全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない」として具体的権利性を正面から認めた点も高く評価できます。



    三、人権と民主主義を守るたたかい

 「永久の権利」と「不断の努力」

 憲法第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」としています。また、第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と定めています。
 このように、憲法に保障されている民主的な諸権利は「侵すことのできない永久の権利」だとされています。しかし、それを守るための「不断の努力」がなければ絵に描いた餅になってしまいます。権利の上に胡坐をかき、権利の無視や侵害を見過ごしたり放置したりしてはなりません。そのようなことが繰り返されれば、やがて権利は失われてしまいます。
 そもそも、人権は長い間のたたかいによって獲得されてきた人類の貴重な財産です。それを受け継ぐためにも、無視や形骸化、破壊や弾圧に対するたたかいが必要なのです。権利は、それを求め、守ろうとする者にこそ与えられるのだということを忘れてはなりません。

 戦後の謀略事件と人権裁判

 基本的人権に対する侵害として最も警戒されなければならないのは国家権力によるものです。権力による暴虐や弾圧、権力の恣意的な運用による権利侵害を防ぐためにこそ、憲法が存在するとさえ言うことができるほどです。このような権力による弾圧と、それへの大衆的な反撃による人権擁護のたたかいの典型的な姿を、戦後の謀略事件と人権裁判運動に見ることができます。
 たとえば、松川事件救援運動として知られる大衆的な人権裁判への取り組みがあります。松川事件は、1949年に福島県の東北本線で発生した列車往来妨害事件で、犯人として国鉄と東芝の労働者20人が逮捕されました。被告の大半は共産党員です。
 このため、当初から労働運動に打撃を与えるためのでっちあげではないかとの見方がありましたが、次第に被告を救援するための運動が盛り上がり、結局、被告全員が無罪になっています。事件の発生から14年後のことで、国家賠償請求訴訟も勝訴が確定しました。
 三鷹事件も1949年に三鷹駅構内で発生した無人列車暴走事件で、組合員だった共産党員ら10人が起訴され、非共産党員の竹内景助被告が「単独犯行」を主張し、9人が無罪となりました。その後、竹内被告も無罪を主張しますが、再審請求中の67年に死亡し、今も再審請求の運動が続けられています。
 このほかの謀略事件としては、青梅事件(1969年差戻審判決)、吹田事件(1969年二審判決)、八海事件(1969年第三次上告審判決)、メーデー事件(1972年二審判決)、辰野事件(1972年二審判決)、仁保事件(1972年差戻審判決)などがあります。いずれも裁判運動が取り組まれて次々と真実が明らかにされ、無罪が確定しました。これらは運動と裁判のフィードバックによって人権が守られてきた実例だと言って良いでしょう。

 教育をめぐる攻防

 憲法第23条は「学問の自由は、これを保障する」とし、第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と定めています。「教育を受ける権利」の方が「義務」よりも優先されていること、権利は「受ける権利」であり、義務は「受けさせる義務」であることに注意する必要があります。
 また、憲法では「学問の自由」の方が先に規定されているということも重要です。戦前の社会において学問の自由が侵され、 侵略戦争を支持し遂行するためのマインドコントロールに利用されたという苦い経験があるからです。それを防ぐためには、学問の自由を保障し、教育に対する政治や行政など外部からの介入や干渉を防ぐことが重要です。
 その典型的な取り組みが教科書検定に対する抵抗であり「家永裁判」です。1965年に家永三郎東京教育大学教授が教科書検定を違憲・違法だとして国を相手取って訴訟を起こし、「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」が結成され、広範な国民が参加して国民的な運動が展開されました。
 その結果、1970年の東京地裁判決によって教科書検定制度は表現の自由を侵害する恐れが大きく、憲法第21条と教育基本法10条に違反するとして、原告勝訴の判決が下されました(杉本判決)。他方で、民事訴訟の第一審判決は教科書検定制度を合憲とし、杉本判決にたいする控訴審判決も憲法判断を回避しつつ運用の一部に裁量権の逸脱があるとして国に損害賠償を命じ、判決は確定しました。
 その後、教科書に対する検定はさらに強まり、白鵬社など歴史修正主義の立場に立った教科書の採用を迫る動きも目立っています。教育基本法の改悪や教育再生実行会議を中心とした安倍教育改革によって外部からの介入と統制は強まり、日の丸と君が代の斉唱や起立の押し付け、国立大学での国旗掲揚や国歌斉唱の要請、人文・社会関係学部の縮小・再編など大学の自治や学問の自由への攻撃はかつてなく強まっており、教育をめぐる攻防は今も続いています。

 思想と表現、政治活動の自由を守り、差別を許さないたたかい

 憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とし、第21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めています。この憲法上の権利を守るためにも、激しいたたかいが繰り返されてきました。
 たとえば、労働現場での思想差別や昇格・賃金差別に対するたたかいがあります。その多くは裁判闘争と結合され、96年には名古屋地裁が中部電力人権侵害・思想差別裁判で「思想差別は違憲」として8億4000万円の支払いを命ずる原告側勝利判決を出しています。このほか、東京電力、安川電機、新日鉄広畑、クラボウ、石川島播磨などでも、労働者側の勝利や和解で解決が図られました。
 また、知る権利や報道の自由、表現の自由も、それに対する制限、干渉や攻撃に対する反撃の繰り返しによって守られてきたことを忘れてはなりません。いくつかの例を挙げれば、西宮の朝日新聞阪神支局襲撃事件に対する抗議活動、国家秘密法反対運動、拡声器規制条例等に対する反対運動、NHK番組「裁かれた戦時暴力」への圧力に対する抗議活動、立川・自衛隊官舎ビラまき訴訟、自衛隊の「国民監視活動」への抗議活動、葛飾ビラ配布弾圧事件や国公法弾圧2事件訴訟などがありました。
 最近では、特定秘密保護法の制定に対する大きな反対運動が展開されました。また、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句の公民館月報への掲載拒否に対する提訴もなされ、自民党勉強会での報道規制発言への抗議も強まっています。個人の思想・信条の自由や差別の禁止という点では性的少数者(LGBT)の権利擁護、憎悪犯罪(ヘイトクライム)や憎悪表現(ヘイトスピーチ)の法的規制なども重要な課題になっています。


    四、人間らしい生活と労働を求めて

 文化的生存権と朝日訴訟

 憲法第25条は前段で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、後段で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めています。前段は文化的生存権という国民の権利の保障であり、後段はそのために「努めなければならない」国の義務を明らかにしているわけです。
 憲法は国会で審議され、約100項目の修正を加えられました。なかでも一番大きな修正は第25条が新たに加えられたことです。これは憲法研究会の同人で社会党議員となっていた森戸辰男が加えたとされ、社会保障の充実を求める運動にとって大きな武器となりました。
 この条文を争点として争われたのが「朝日訴訟」です。生活保護基準が生存権を保障するに十分なのかと、朝日茂さんによって提起されました。一審は憲法25条を根拠に原告側勝訴という画期的な判決を下しましたが、控訴審で敗訴しています。
 しかし、この裁判を契機とした「朝日運動」は、生存権や社会保障を受ける権利を明確にし、生活保護基準の引き上げなど行政や立法面での社会保障の充実がはかられるきっかけになりました。また、この運動によって社会保障や生存権にたいする国民意識が変化し、福祉国家を展望して運動を発展させる端緒になったという点も大きく評価できるでしょう。

 公害反対闘争の意義

 憲法には「環境権」が明示的に規定されているわけではありません。しかし、憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。「環境権」はこれを根拠に主張され、公害対策基本法やこれを引き継ぐ環境基本法が制定されました。
 憲法第25条をもとに民法の損害賠償請求も行われ、4大公害裁判(熊本水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市大気汚染)で被害者救済の判決が確立しました。これらの公害裁判で地域住民や被害者の運動が大きな力となりましたが、その支えとなった民主的な諸権利が憲法で保障されていなければ、環境権が明記されていても絵にかいた餅にとどまっていたことでしょう。
 このほか、大阪や羽田・福岡空港の周辺住民による騒音公害反対運動、新東京国際空港の建設に反対する三里塚闘争、サリドマイド、スモン、クロロキン、エイズ(HIV)、ヤコブ病、C型肝炎、イレッサ、B型肝炎などの薬害に対して補償を求めるたたかい、アスベストや塵肺などの健康被害に対する責任追及と賠償請求の運動などもありました。
 公害というにはあまりにも大きな問題ですが、福島第1原子力発電所事故による放射能被害に対する運動も重要です。原発そのものの廃止や再稼働させない反・脱原発、原発ゼロへの取り組みと結合しつつ、放射能による健康被害や環境破壊に対する補償を求めることは、憲法第13条や第25条の具体化を図る今日的な取り組みであると言えるでしょう。

 労働者の権利をめぐるたたかい

 憲法第27条は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とし、第28条は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」としています。この規定を根拠に、労働基準法・労働組合法・労働関係調整法のいわゆる「労働三法」が制定されました。
 戦後の労働運動の歴史は、このような労働者の権利を形骸化し空文化しようとする政府や経営者からの攻撃と、その実質化や具体化を求める労働運動との激しいせめぎあいでした。個々の事例に立ち入る余裕はありませんので、ここでも労働運動と裁判闘争とが結合されることで、労働者の権利の擁護が図られてきたということを指摘しておきたいと思います。
 とりわけ、官公労働者のストライキ権回復に向けて、ILOへの提訴など国際的な面での取り組み、スト権回復ストや順法闘争、世論への働きかけなどを背景に、下級審ではスト禁止を違憲とする判決などが獲得されてきました。しかし、いまだに公務員のスト権は回復されていません。この問題は今もなお公務員制度改革における大きな争点であり続けています。


  むすび

 戦後70年は、憲法の空洞化を許さず、その具体化を目指して苦闘する歴史でした。憲法をめぐる運動には守勢と攻勢の二つの面があります。それは改憲に反対する護憲運動であるとともに、その理念や条文を政治と生活に活かす活憲運動でもありました。
 幅広い労働・社会運動、裁判闘争、新たな立法や行政施策などの相互の連動を図りつつ、憲法の条文と理念を守るだけでなく、平和と人権、自由と民主主義などを国民生活の隅々に具体化していく取り組みでもあったと言えます。憲法は労働運動や社会運動の武器としても活用され、鍛えられ、新たな生命力を得てきたのです。
 他方で、憲法に対する敵視と攻撃も強まりました。その策源地は安保体制であり、自民党の変質です。国際社会での地位を低めた米国は日本に対する軍事分担と肩代わりを求め、保守支配の行き詰まりを打開するために右傾化を強めてきた自民党は、この要請を受け入れようとしているからです。
 こうして、保守政治の変質が生じました。憲法を前提にした戦後型政治モデルへの現実的な対応から、その修正による極右的な反憲法政治へと自民党内のヘゲモニーが転換したのです。その結果が安倍政権による憲法敵視であり、反憲法的暴走政治にほかなりません。
 憲法が政治の焦点に浮上することになり、保守の分化が生じ、改憲に反対する国民的共同の条件が拡大し、民主的政府樹立に結びつく新しい条件が生まれました。憲法の意義と重要性も再認識されるようになっています。「9条の会」の発展は、その一つの現れではないでしょうか。
 このような憲法をめぐる運動でも、労働組合は組織された社会的勢力としての力、志によって結ばれた絆としての団結、社会の民主的な変革を目指す集団としての力を発揮することが求められています。安保闘争で果たした労働組合運動の力を思い起こしていただきたいものです。
 その力を発揮するために、足を踏み出さなければなりません。一歩を踏み出すには、まず立ち上がることが必要です。腹を固めて、面白く、これまでとは違ったことをやるために、まず立ち上がりましょう。そして、一歩を踏み出そうではありませんか。本格的に憲法が活かされる政治と社会を目指して……。

戦争法案強行採決と国民のたたかい
 (2015-11-04〜05)

 『治安維持法と現代』No.30、2015年秋季号

  「このような暴挙は許されない」と、誰もがそう思ったことでしょう。通常国会の焦点とされ、九五日間もの延長の末に九月一九日に強行採決された戦争法案(安保法案)のことです。とりわけ最終盤では、連日、国会正門前に多くの人々が集まり、激しい抗議の声が上がりました。それを無視する形で採決が強行されたのです。
法律が成立した後の世論調査で、八割もの人が「審議尽くされていない」(共同七九・〇%)、「十分に説明していると思わない」(同前八一・六%)、「説明不十分」(読売八二%、毎日七八%)、「審議不十分」(産経七八・四%)などと異議を唱えているのも当然でしょう。
 戦争法案が国会に提出されたのは五月一五日でした。成立したのは九月一九日ですから、約四ヵ月間の審議になります。通常国会の会期は六月二四日まででしたが、六月二二日に九五日間延長され、九月二七日までとされました。
 衆参両院での審議時間はあわせて二二〇時間に達しました。しかし、今回の法案は現行の一〇本をまとめて改正する一括法「平和安全法制整備法案」と、いつでも自衛隊を海外に派遣できる新法「国際平和支援法案」の成立でした。合計一一本の改正と成立ですから、一本あたりにすれば二二時間にすぎません。国の基本的なあり方を左右する法案の審議時間としては極めて不十分だったと言うべきです。
 しかも、審議の過程では答弁が二転三転し、審議の中断は衆参両院で二二五回を数えました。行政府の長である安倍首相が立法府の議員に「早く質問しろよ」「そんなこと、どうでもいいじゃん」などというヤジを飛ばしたこともあります。八割もの国民が「説明不十分」と感じた背景には、このような誠実さを欠いた不真面目な答弁ぶりにもありました。

   一、国会での審議・採決を通じて何が明らかになったのか

 二重の意味で破壊された立憲主義

 このような審議を通じて明らかになったのは、二重の意味で憲法違反だという事実でした。一つは、歴代内閣によってこれまで憲法上認められないとされてきた集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊を海外に送り出して戦争できるようにするという内容上の違憲です。
もう一つは、憲法の改正手続きを経ることなく内閣の憲法解釈を変えることでこれを実現してしまったという手続き上の違憲でした。憲法を改正しなければ行使できないから改憲が必要だとされてきたのに、正規の改正手続きを経ることなく行使できるようにしてしまったのですから、「裏口入学だ」と批判されたのも当然です。
 六月四日の衆院憲法審査会に参考人として出席した三人の憲法学者は、自民党が推薦した長谷部恭男早稲田大学教授を含めて全員「憲法違反だ」と証言しました。東京新聞が全国の大学で憲法を教える教授ら三二八人にアンケートを実施した結果、「合憲」だというのはたったの七人(三%)にすぎず、「憲法違反」は九割に上っています。
 それに、憲法第九八条と第九九条違反という問題もあります。第九八条は憲法の最高法規制を定め、「その条規に反する法律……の全部又は一部は、その効力を有しない」ことを明らかにしています。戦争法は内容と手続きの両面で憲法に違反していますから、たとえ成立しても法律としての「効力を有しない」ことになります。
 また、第九九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」として、憲法尊重擁護義務を定めています。憲法に違反する法案を提出し、その成立を図ることは許されず、安倍内閣の閣僚もそれを成立させた国会議員も憲法尊重擁護義務に違反していたことになります。
 憲法に基づく政治運営という原則が立憲主義です。このような原則が侵されれば国の土台が崩れてしまいます。憲法違反の法律を廃止し、そのような法律を制定させた行政と立法のあり方を正すことによって立憲主義を回復することは、国の土台を立て直すための最優先の課題だと言わなければなりません。

 否定された「平和国家」としてのあり方

 この法案の提出にあたって、安倍首相は憲法の理念としての平和主義も専守防衛という国是も変わらないと強調しました。この法案は「平和安全法制」の整備を目指すもので戦争法案というのは不当なレッテル張りだと反論していました。しかし、これは真っ赤な嘘です。
 この法律によって、自衛隊はいつでも、どこでも、たとえ先制攻撃による無法な戦争であっても、それが「存立危機事態」であると認定されれば集団的自衛権の行使によって、「重要影響事態」と判断されれば重要影響事態法によって、国際の平和に関わるものだとされれば国際平和支援法によって、自衛隊を海外に派遣することが可能になります。
 そこで「後方支援」という名目の平たん活動に従事し、時には治安維持や捜索・救助活動を行ったり任務遂行のために武器を使って戦闘行動に加わったりすることになります。これは戦争への参加そのものではありませんか。
 しかも、集団的自衛権の行使容認の理由とされたホルムズ海峡の機雷封鎖解除について安倍首相は「具体的に想定しているものではない」と答弁し、半島有事における日本人母子を輸送する米軍艦の防護について、中谷防衛相は邦人が乗っているかどうかは「絶対的なものではない」と答えました。集団的自衛権行使容認が必要な具体例として示されていたケースですが、いずれも否定されたことになります。
 それならなぜ、このような法律が必要なのでしょうか。法律が必要とされる具体的な根拠、すなわち「立法事実」が存在しないことになります。それらは単なる口実にすぎませんでした。法律の目的は他にあったのです。
 中東地域や南シナ海などで多国籍軍や有志連合の一員として米軍などを助け、肩代わりすることが真の目的なのです。戦争法で可能になる自衛隊の任務の拡大は、「第三次アーミテージ・ナイ」報告で求められている内容と見事に一致していました。
 日本が攻撃されていなくても、米国などの要請によって戦争に加われるようにするための準備が法整備の真の狙いなのです。まさに「戦争法」そのものではありませんか。そのような法律の成立によって、「平和国家」としての日本のあり方も専守防衛という国是も根底から覆されてしまったことは否定できません。

 踏みにじられた議会制民主主義

 戦争法案の採決のやり方も滅茶苦茶でした。議会制民主主義が踏みにじられ、法成立のための手続き上の瑕疵があったことは誰の目にも明らかです。
 戦争法案は七月一六日の衆院本会議で野党が退席して抗議の意思を表明するなか、自民党と公明党の賛成で採択され参院に送付されました。参院では九月一五日の中央公聴会、翌一六日の地方公聴会を経て一七日に特別委員会で採決が強行されます。参院本会議は、翌一八日から一九日未明にかけて開かれ、与党の自民・公明両党と野党の次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の賛成で成立しました。
 この間、地方公聴会の内容が委員会に報告されることも、それを反映した質疑が行われることもありませんでした。本会議では野党の抵抗を阻むために発言時間を制限する動議が採択されています。とりわけひどかったのは、特別委員会での採決の強行です。
 委員会が再開されて鴻池祥肇委員長が着席した途端、自民党の若手議員が周りを取り囲み、大混乱の中で五回も採決されたことになっています。しかし、速記録には「議場騒然、聴取不能」としか書かれていません。委員には委員長の言葉は聞こえず、委員長は委員の様子を見ることができなかったでしょう。委員長を囲む輪の中にいた自民党の佐藤正久筆頭理事が手を上げて合図を送る様子がテレビに映っていました。
 まともな議事運営が行われなかったことは明らかで、到底法案が採択されたとは言えません。議事運営続き上の瑕疵があったことは否定できず、「安保関連法案採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」(メール署名)に五日間で三万人以上の署名が集まったのも当然でしょう。

   二、戦争法成立の背景にはどのような問題があったのか

 小選挙区制の害悪

 こうして戦争法は成立しました。そこにはどのような背景や問題があったのでしょうか。
 その第一は、小選挙区制による害悪です。この選挙制度によって二重の意味での「一強多弱」体制ができあがった点に大きな問題があります。
 世論調査をすれば五割が法案に反対で成立を評価せず、六割が憲法に違反しているとし、審議が尽くされていないという意見も八割近くに上っています。説明不十分という意見にいたっては八割を超える調査もありました。それなのに、法案は成立してしまいました。国会では賛成派が衆院で三分の二以上、参院で過半数以上の議席を持っているからです。
 その理由は、第一党に有利になる小選挙区制にあります。参院の一人区も事実上の小選挙区ですから同様の問題を抱えています。昨年の総選挙では、有権者のうち自民党に投票した割合(絶対得票率)は小選挙区で二四・五%、比例代表で一七・〇%にすぎませんでしたが、自民党が圧勝しました。小選挙区で四八%の得票率なのに七五%の議席を占めたからです。
 このような選挙制度の下では、多数党の候補者として公認されるかどうかが決定的な意味を持ちます。公認権を持つ執行部の力が強まり、異論があっても楯突くことができなくなります。反対すれば対立候補を立てて「刺客」を送り込まれることを、「郵政選挙」の時に思い知らされました。こうして、自民党内でも官邸や執行部の力が強まる「一強多弱」体制が生まれたのです。このような政治的効果を生んだのも、小選挙区制による大きな害悪だったと言えるでしょう。

 自民党の変貌

 第二に、その結果として自民党が変貌してしまいました。主導権(ヘゲモニー)が「本流派閥」から「傍流派閥」へと移ったからです。前者は吉田茂の流れを汲み比較的リベラルでハト派でしたが、後者は岸信介の末裔でどちらかといえば右翼的でタカ派だという特徴がありました。
 60年安保闘争によって戦前モデルを否定された自民党は、現行憲法を前提に現状対応を図る路線を採用し、それが「本流」となりました。これに対して、戦前モデルを念頭に憲法改正と再軍備をめざして戦後憲法体制の修正を図ろうとする勢力は少数派となり、自民党内では「傍流」に追いやられます。
 しかし、右肩上がりの経済成長が終わり、新自由主義が登場し、軍事大国化が強まるなかで、政界再編や新党結成によって「保守本流・ハト派・吉田」の流れを汲む勢力や個人が自民党外に流出し、次第に「保守傍流・タカ派・岸」の勢力の比重が高まっていきます。その転換点は森喜朗政権の成立でしたが、政策内容や政治手法の点では小泉政権が画期だったと思われます。
 このような転換によって、「保守本流」の解釈改憲路線は明文改憲と実質(立法)改憲を合わせた総合的な改憲路線に変わり、経済重視路線は政治主義路線へと転換し、憲法上の制約を盾に一定の抵抗を示しつつ協調してきた対米協調路線も制約自体を取り払って米国に追従する対米従属路線へと変化してきました。
 さらに、「保守本流」の政治手法の特徴だった合意漸進路線などは見る影もありません。野党や国民との合意は問題とされず、独善的で強権的な手法が強まってきました。安倍政権に対する国民の批判と反発は、民意に耳を傾けず異論を封じる手法や強引な国会運営に対しても向けられています。

 マスメディアの分化と後押し

 第三に、このような政治の変化に警鐘を鳴らし、権力を監視するべきマスコミのあり方にも大きな変化が生じました。特にNHKのニュース報道や読売新聞、フジ・サンケイグループによる報道には大きな問題があります。政府の応援団として戦争法の成立を後押しする役割を演じたことは、マスメデイアとしての大きな汚点にほかなりません。
 すでに、第二次安倍内閣になってから籾井勝人NHK会長が就任し、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と述べて問題になっていました。今回も与党の言い分ばかり伝え、ことさらに賛成派のデモを取り上げたり、国会周辺の抗議活動を無視したり扱いを小さくしたりするなど、NHKのニュースには大きな問題がありました。
 これに対して、テレビ朝日の「報道ステーション」などは戦争法案の問題点を解明し、反対運動を詳しく紹介するなど積極的な役割を果たしました。週刊誌でも、女性週刊誌が戦争法案についての特集を組んで反対意見や抗議活動を紹介するなど、従来にない姿勢を示したことは注目されます。
 新聞は賛成と反対に大きく分かれました。前者は『読売新聞』『日経新聞』『産経新聞』『夕刊フジ』などで、後者は『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』『日刊ゲンダイ』などです。地方紙の大半も戦争法案に批判的な論調でした。とりわけ、『東京新聞』は一面や「特報」面で法案の問題点や反対運動について詳細な記事を掲載し、ジャーナリズムとしての本来のあり方を示しました。
 また、共産党の『しんぶん赤旗』は政党機関紙ですが、日曜版には自民党や官僚OB、改憲派の政治学者、公明党や創価学会員なども登場し、大きな注目を集めました。政党機関紙の枠にとらわれない進歩的ジャーナリズムとしての存在感を発揮したことは高く評価して良いでしょう。

   三、たたかいの到達点と今後の展望

 実証された「反響の法則」

 戦争法案に対しては、かつてない規模での大きな反対運動が生じました。太鼓を強く打てば強く響くような「反響の法則」が実証されたように見えます。
 元最高裁長官や判事、内閣法制局長官の経験者などをはじめ、幅広い階層や年齢の人々が立ち上がりました。地方自治体の議会で反対や慎重審議の決議や要望書が採択され、議員とともに普通の市民などが運動の輪に加わりました。国会で参考人として証言したSEALDsの奥田愛基さんは、全国二〇〇〇カ所以上で数千回の抗議行動が取り組まれ、一三〇万人以上が参加したと述べています。
 デモと集会は「三・一一」後の脱原発・再稼働反対運動で再生し、秘密保護法制定阻止の運動に引き継がれ、今回の戦争法案反対のたたかいで大きく飛躍しました。もはやデモは一部の人々の特別な行動ではなく、普通の人々の日常的な表現手段になりました。それは全国津々浦々に拡大し、町内や村内など身近な生活の場でも気軽に取り組まれています。
 集会の開き方も変わりました。官邸前や国会周辺で定期的に開かれ、有名無名の人々が発言し、「わたし」を主語として自分の言葉で語られたスピーチは聞く者の胸を打ちました。非暴力のパレードやサウンドデモ、ラップ調のコール、ふらっと参加できる気安さ、視覚的なカッコよさなども、これまでにない特徴です。
 自発的な個人の参加が目立ったと言われていますが、同時に注目すべきなのはSEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)、SADL(民主主義と生活を守る有志)、高校生のT-ns SOWL(ティーンズソウル)、MIDDLEs、OLDsや「ママの会」などの新しい団体の結成が相次いだことです。
 そして、これらの新組織と労働組合などの旧組織が連携し協力したことも大きな特徴でした。労働組合の姿が見えにくかったのは、動員型での参加が少なかっただけでなく裏方として運動を支えていたからで、個人として集会に参加した組合員も多かったのではないでしょうか。

 大衆運動の「新しい質」

 このようなデモの復権と集会のモデルチェンジを通じて、大衆運動における「新しい質」が生み出されました。これは戦争法案反対運動が獲得した大きな成果です。
 第一に、大衆運動における共同の実現です。今回のたたかいを担った「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」(総がかり行動実行委員会)は「戦争をさせない1000人委員会」(1000人委員会)、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」(壊すな!実行委員会)、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」(憲法共同センター)という三団体の合流によって誕生した共闘組織でした。
 この「総がかり行動実行委員会」は、市民運動団体である「壊すな!実行委員会」を仲立ちとし、連合系団体の「平和フォーラム」が事務局を担当する「1000人委員会」と全労連が事務局になっている「憲法共同センター」の連携によって運営されていました。このような形での共闘が実現したのは画期的だったと言って良いでしょう。 
 第二に、青年や学生、女性などが立ち上がったことです。「総がかり行動実行委員会」とともに運動を推進したのはSEALDsでしたが、これらの学生が参加してきた背景には自らの貧困と将来への不安があったように思われます。六〇年や七〇年の安保闘争での学生は使命感に基づく「他者」のための運動であったため、その後、潮が引くように沈静化しました。しかし、今回は「自己」の未来をかけた運動なのです。中途で投げ出すわけにはいかず、これからも沈静化することはないでしょう。
 また、このような若者と高齢者、個人と組織、地方・地域と国会周辺での取り組みが呼応するような形で展開されました。この両者が連動して運動の幅を広げ、質を高めることになったように思われます。
 第三に、若者や個人としての参加を促すうえで、IT(情報技術)手段が持った役割が極めて大きかったということです。デモや集会などへの参加情報の取得や拡散という点で、メールやツイッター、フェイスブック、ブログなどが活用されました。
 これは安保闘争などこれまでの社会運動とは根本的に異なる点です。運動の拡大や情報の受信と発信においてインターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)などが社会運動の武器として大きな威力を発揮した最初の例だったと言えるでしょう。

 戦争法廃止の連合政府の実現

 激しい反対運動や世論を無視して戦争法が成立しました。今後は憲法九条の空文化か、それとも戦争法の空文化かという対決が本格化することになります。戦争法の発動を阻み、その廃止を求める運動を継続させながら憲法裁判を提起して世論を喚起し、各種の選挙で戦争法に賛成した議員や政党への落選運動を展開することが必要です。
 このようなたたかいの集約点は来年の参院選であり、そこでの勝利には野党間の協力が欠かせません。とりわけ、野党第一党の民主党とこの間のたたかいをリードしてきた共産党との連携・協力、いわば「民共合作」が重要です。
 このようななかで、共産党は戦争法廃止の国民連合政府の実現と来年の参院選に向けての選挙協力を呼びかけました。暫定政府への入閣は条件にせず、戦争法廃止という一点での共闘だといいます。その実現に向けて、各野党間の協議も始まりました。その帰趨こそ、今後の日本の運命を決することになるでしょう。
 参院の与野党差は二八ですから、一五議席が入れ替われば逆転することになります。東京新聞は選挙協力が実現すれば八つの一人区で与野党が入れ替わると試算しています。今回改選される議員が当選した二〇一〇年参院選では、直前に菅首相が消費税一〇%発言を行って民主党が大敗し、自民党が圧勝しました。この時の共産党は三議席の当選にとどまりましたが、前回の二〇一三年参院選では五議席増の八議席になっています。これらの事情を勘案すれば、与野党逆転の可能性は十分にあります。
 JNNの世論調査では、野党間の選挙協力の実現に「期待する」と答えた人が三七%に上りました。そのカギを握っているのは民主党です。民主党は「右のドア」を閉めて「左のドア」を開けるべきです。力を合わせなければ政権交代は無理であり、共産党との協力なしには国民の期待に応えられません。

 歴史の教訓

 今後の運動を発展させるためには歴史の教訓を振り返り、それに学ぶ必要があります。ファシズムとの対決ではフランスでの反ファッショ統一戦線結成やスペインでの人民線政府の経験が参考になるでしょう。いずれも反ファシズムという一点での合意に基づく社会党と共産党などの統一戦線の結成でした。
 アジアでも同じような共同の経験があります。それは中国における国民党と共産党との連携・協力としての「国共合作」です。これは二度にわたって国民党と共産党との間で結ばれた協力関係のことです。このような統一戦線の結成なしには、中国革命と抗日戦争の勝利もなかったでしょう。
 また、民主党の再生と政権への復帰という点では、フランス社会党の経験が役に立ちます。フランス社会党は一九六八年の五月革命直後の総選挙で大敗し、従来の党を解消して左派連合を母体にした新たな社会党に移行することを決定します。一九七一年のエピネ大会で第一書記には共産党との連携を主張するミッテランが就任し、ユーロコミュニズム路線のフランス共産党と共同政府綱領を結んで一九八一年の大統領選挙で勝利しました。
 ここに紹介したどちらの例も、共産党との連携に活路を見出した点が共通しています。民主党は何故、このような歴史的な成功事例に学ぼうとしないのでしょうか。
 こう言うと、共産党と手を組めば支持が減るのではないかと心配する方もおられるかもしれません。しかし、それは時代遅れの杞憂です。共産党との連携はマイナスになるどころかプラスになるということが、沖縄での選挙や戦争法案反対のたたかいなどで示されている現実の姿なのです。

   むすび―新しい政治を目指す新しい運動を

 政治が変わりつつあります。その土台となっている社会も変わり始めました。本格的な政権交代の準備がすでに始まっているのです。
 二〇〇九年の政権交代は、一時的なブームによる「風」頼みの成功例でした。これからの政権交代は、「草の根」の「市民」に支えられたものとなるでしょう。政治について知り、学び、発言し、行動する「市民」の誕生によって、いま新しい「市民革命」が始まろうとしています。
 平和で民主的、自由で豊かな社会を実現し、それを次の世代に手渡すことこそ、今を生きる私たちの責任です。その責任を果たすために、できるところで、できることをやろうではありませんか。
 高齢者の知恵と経験を生かし、現役世代を励まし、若者と女性のエネルギーを引き出すことで、気軽にふらりと立ち寄って誰でも参加できるような軽やかな運動を作り出しましょう。戦争法廃止の暫定国民連合政府を実現して新しい政治を生み出し、日本を救うことができるかどうかは、そのことにかかっているのですから……。


「民主主義の目覚まし時計」が鳴っている――戦争法案反対で高揚する国民運動をどう見るか
 (2015-11-04〜05)

 『学習の友』2015年11月号、No.747
 
    はじめに

 「我々は、試合に負けたかもしれませんが、勝負には勝った」。民主党の福山哲郎幹事長代理は、こう述べました。戦争法案採択前の参院本会議での反対討論です。その「勝負」の決着は次の参院選、解散・総選挙でつけなければなりません。その時には「試合にも勝てる」ように、今から準備する必要があります。
 戦争法案反対闘争における最大の特徴は国民の民主主義的覚醒でした。戦争法案をゴリ押しすることで、安倍首相は心ならずも「民主主義の目覚まし時計」を鳴らしてしまったようです。若者をはじめ、このたたかいに加わった人々は政治変革の必要性を痛感し、それに向けての決意を固めたことでしょう。このような価値観の変化を呼び起こし、変革に向けての主体を形成できたところに、戦争法反対闘争の最大の成果があります。
 度重なる安倍政権の暴走によって、この世のあらゆる災いが飛び出してきたような日本です。しかし、「パンドラの箱」にはまだ残っているものがありました。最後に残された希望は「民の声」です。国会前をはじめ全国津々浦々に響き渡ったこの「民の声」を、戦争法廃止の国民連合政府(詳しくは後述)実現の力とするのが、これからの私たちの課題にほかなりません。

   立憲主義・平和主義・民主主義の破壊

 国会での戦争法案の審議と採決を通じて明らかになったのは、立憲主義・平和主義・民主主義の破壊という問題でした(経過は年表参照―省略)。  
 立憲主義について言えば、集団的自衛権の行使容認という内容と、59年砂川判決や72年閣議決定を根拠に憲法の解釈を変更するという手法という二重の憲法違反を犯しています。
 また、審議を通じて明らかになったのは、法律の根拠となる「立法事実」が存在しないということでした。当初、安倍首相は具体的な例として、ホルムズ海峡での機雷掃海、日本人の母子を輸送する米軍艦の防護、北朝鮮のミサイル発射を警戒監視中の米艦防護などを挙げていましたが、いずれも根拠のないことが明らかになったからです。
 さらに、民主主義の破壊という点では、民意の無視が際立ちました。最終盤での参院特別委員会での採決は与党の「だまし討ち」によって大混乱に陥り、速記録には「議場騒然、聴取不能」と書かれているだけです。回りを取り囲まれたために議長の声は聞こえず、起立した委員の姿も議長からは見えなかったでしょう。擬似運営上の瑕疵があったことは明らかで、採決不存在と審議続行を求める要望書が出されたのも当然です。
 9月19日未明、参院本会儀で戦争法案は成立しました。しかし、各新聞の世論調査では5割が法案に反対で成立を評価せず、6割が憲法に違反しているとし、審議が尽くされていないという意見も7割から8割近くに上っています。説明不十分という意見に至っては8割を超える調査もありました(図参照―省略)。8割といえば国民の大部分じゃありませんか。

   実証された「反響の法則」

 戦争法案に対しては、質量ともにかつてない反対運動が起きました。強く打てば強く響く「反響の法則」が実証されたことになります。攻撃が強いほど反発や抵抗も大きくなり、訴えれば応える世論の変化も顕著で、国会内外の連携も目立ちました。
 元最高裁長官や判事、元内閣法制局長官、官僚や自民党幹部のOB、9割の憲法学者、弁護士、大学人、創価学会員、宗教者、医療・介護・福祉関係者、大学生や高校生、国際NGOやNPO、元自衛官、演劇人、映画関係者、文学者、音楽家、タレント、地方自治体議会と議員、普通の市民などが立ち上がりました。
 全国2000カ所以上で数千回の抗議行動が取り組まれ、130万人以上が参加したと、SEALDsの奥田愛基さんは国会の参考人質疑で述べています。
 デモと集会は、ホップ(原発ゼロ実現・再稼働反対)、ステップ(秘密保護法制定阻止)という2段階を経て復権し再生してきました。今回の戦争法案反対のたたかいはこれを引き継ぎ、大きくジャンプして全国に拡大したのです。
 集会の開き方も様変わりし、官邸前や国会周辺で定期的に取り組まれ、有名無名の人々が横並びで自由に発言しました。「わたし」が主語となり自分の言葉で発せられたスピーチは聞く人々の胸を打ち、非暴力のパレードやサウンドデモ、ラップ調のコール、ふらりと参加できる気安さ、感覚的なカッコよさなども、これまでにない特徴です。
 自主的自発的な個人の参加者が目立ったことが注目されていますが、同時に指摘する必要があるのは、大学生のSEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)や「ママの会」をはじめ、高校生のT-ns SOWL(ティーンズソウル)、SADL(民主主義と生活を守る有志)、MIDDLEs、OLDs、各大学・各分野の有志の会などの新しい組織の結成が相次いだことです。
 そして、これらの新たに登場した組織と労働組合などの既存の組織が連携し協力したことも大きな特徴でした。労働組合の姿が見えにくかったのは、動員型での集会参加が少なかっただけでなく会場整理などの裏方として運動を支えていたからで、動員されなくとも個人として集会に参加した組合員も多かったのではないでしょうか。

   獲得された新たな運動の質

 今回のたたかいを中心になって担ったのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」(総がかり行動実行委員会)です。これは「戦争をさせない1000人委員会」(1000人委員会)、「解釈で憲法9条を壊すな! 実行委員会」(壊すな! 実行委員会)、「戦争する国づくりストップ! 憲法を守り・いかす共同センター」(憲法共同センター)という3つの団体の合流によって結成された共闘組織でした。
 それは、市民運動団体「壊すな! 実行委員会」を仲立ちとした連合系団体「1000人委員会」と全労連系団体「憲法共同センター」との連携という内実を持っていました。このことは強調しておく必要があります。このような形での大衆運動における共同が、すでに実現していたからです。
 また、60年安保闘争や70年安保闘争との違いでは、青年や学生の参加の背景に自らの貧困と不安があるという点が大きいように思われます。かつては使命感に基づく「他者」のための運動であり、そのために潮が引くように沈静化しました。しかし、今は自らの未来を守り切り開くための「自己」のための運動なのです。中途で投げ出すわけにはいかず、これからも沈静化することはないでしょう。
 このたたかいは、高齢者と若者、組織と個人、国会周辺と地方・地域、町内、村内での運動が呼応するような形で展開されました。前者が「敷布団」で後者が「掛け布団」のような関係(上智大学の中野晃一教授)だと言われますが、両者が連動して運動の幅を広げ質を高めることになったように思われます。
 また、運動への参加の仕方では組織的な働きかけと個人的な情報の入手という特徴もありました。このような情報の発信や受信という点で大きな意味を持ったのが、インターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)などのIT(情報技術)手段です。(インター)ネットによるネット(ワーク)の形成と活用もこれまでにない特徴で、それが社会運動の武器として活用され、大きな威力を発揮した最初の事例だったのではないでしょうか。

   戦争法廃止をめざす連合政府の樹立に向けて

 戦争法が成立した日の午後、日本共産党は中央委員会総会を開いて戦争法廃止の国民連合政府の実現を目指す方針を決め、参院選などでの選挙協力を呼びかけました。素早い対応であり、的確な方針提起であったと思います。
 戦争法成立の直後から、「民主主義は止まらない」「この悔しさは忘れない」という声が上がり、コールも「戦争法案今すぐ廃案」から「安倍内閣は今すぐ退陣」へと変わりました。倒閣運動への発展・転化が生じたのです。
 今後も戦争法廃止の運動を継続させ、世論を変え、裁判にも訴えていくことが必要です。とりわけ重要なのが賛成した議員を選挙で落とす落選運動であり、戦争法の廃止を可能にするような政府の樹立です。
 参院選での与野党逆転を実現するうえでは1人区対策が重要になります。現在の参院の与野党差は28ですから15議席入れ替われば逆転しますが、野党の選挙協力が実現すれば8つの1人区で与野党が入れ替わると東京新聞は試算しています。
 今回改選される議員が当選した2010年参院選では、直前に菅首相が消費税10%発言を行って民主党が大敗し、自民党が圧勝しました。この時の共産党は3議席当選にとどまりましたが、前回の2013年参院選では5議席増の8議席になっています。これらの事情を勘案すれば、与野党逆転の可能性は十分にあると言えるでしょう。

   これからの対決の焦点

 これからは憲法9条の空文化かそれとも戦争法制の空文化か、という対決が本格化することになります。その集約点が来年の参院選であり、そこでの勝利には民主党と共産党の連携・協力が不可欠です。
 そのカギを握っているのは民主党です。民主党は「右のドア」を閉めて「左のドア」を開けるべきです。力を合わせなければ政権交代は無理であり、「反共主義」や「共産党アレルギー」では国民の期待には応えられません。未だに「裏切り」の印象が強く国民の信頼を十分に回復しているとは言えない民主党は、このことをよく考えるべきでしょう。
 この間の運動によって、政治を動かす土台とも言うべき社会が変わり始めました。政権交代の準備はもう始まっているのです。一時的なブームという上からの「風」頼みの政権交代ではなく、人々の考え方や価値観の変化をともなった下からの「草の根」の力による政権交代という条件が形成されつつあります。
 好きか嫌いかを優先するようでは政治家の資格はありません。嫌いでも国民のためになるのであれば手を組むべきです。せっかく盛り上がってきた倒閣運動です。「民主主義の目覚まし時計」を鳴らして、その高揚をもたらした安倍首相の「政治的プレゼント」を無にしてはなりません。政権交代によって、この「プレゼント」を最大限有効に活用しようではありませんか。
 

第3次安倍改造内閣―新3本の矢で目くらまし 新「富国強兵」政策を画策  (2015.10.30)

 『全国商工新聞』第3189号、10月26日付

 第3次(大惨事)安倍改造内閣が発足しました。一言で言って「意味不明」内閣です。その翌日の日経平均株価は181円下がって1万8141円になりました。新内閣発足に対する市場の反応は冷たいものでした。
 それもそうでしょう。最初から、期待されることを期待していないような顔ぶれですから。安倍首相は来年7月の参院選まで持てば良いと考えているのかもしれません。しかし、このような「お友達」ばかりをかき集めた陣容で参院選を乗り切れるのでしょうか。

 安倍首相は9月の自民党総裁選で再選され、党の役員と閣僚を変えて人身を一新させたいと思ったのでしょう。しかし、「無理に人事をやるタイミングではなかった」(10月8日付『朝日新聞』)という政府高官の声が伝えられているように、どうしてもやらなければならなかったわけではありません。
 事実、改造は小規模にとどまり、閣僚と自民党役員計24人のうち交代したのは10人にすぎません。しかも、主要閣僚の「幹」はほとんど残留し、代わったのは「枝葉」ですから、なぜ今やるのかが「意味不明」な改造だったということになります。
 新しい閣僚の顔ぶれもパッとしません。注目されるのは行革担当相になった河野太郎さんですが、さっそく反原発という主張を引っ込めようとしています。
 もう一人「目玉」とされているのが加藤勝信さんで「一億総活躍社会」の実現を担当するそうですが、これこそ「意味不明」の最たるものです。
 安倍首相は「自民党は人材の宝庫だ」と言っていますが、それならどんどん交代させればいいじゃありませんか。
 しかし、実際には、そうはいきません。政治資金面で問題のない自民党議員はほとんどいず、第2次改造内閣で3人の閣僚が辞任したように危なくて使えない人ばかりだからです。
 それでも改造を行ったのは、70人を超える「入閣待望組」を減らすだけでなく、戦争法案反対闘争で高まった「アベ政治」への反発を和らげたいという狙いがあったからです。そのために、突然「一億総活躍社会」というスローガンと「強い経済」「子育て支援」「社会保障」という「新3本の矢」を打ち出しました。
 そこには二つの「目くらまし」が意図されていたように見えます。その一つは、60年安保闘争後、所得倍増政策によって国民の支持を回復した池田内閣をまねた「目くらまし」であり、もう一つは、新しい「3本の矢」を示すことでアベノミクスの失敗から国民の目をそらすという「目くらまし」です。

 しかし、「一億総活躍」とは言っても、実際には日本の人口は1億2685万人ですし、それを十羽ひとからげに「活躍」させようというのは余計なお世話で、何が「活躍」なのかも不明です。2020年頃までに国内総生産(GDP)600兆円、20年代半ばに希望出生率1.8、20年代初頭に介護離職ゼロという目標はいずれも「絵に描いた餅」で現実離れしたものです。「的」が遠すぎて「矢」は届きません。
 第2次改造内閣で打ち出した「地方創生」や「女性の活躍推進」はどうなったのでしょうか。これが古臭くなったから「一億総活躍」というラベルに張り替えて目新しさを出そうとしただけではないでしょうか。
 しかも、達成年次は安倍首相の任期を越えています。目先を変えて期待を持たせ、来年の参院選さえ乗り切れば達成されなくても良いと思っているのかもしれません。
 国民も甘く見られたものです。アベノミクスの「3本の矢」で騙したうえに「新3本の矢」でもう一度、騙そうというわけですから。このような目論見を許してはなりません。「アベノミクス第2ステージ」は、経済成長によって得られた富を軍事力増強へとつぎ込む、新「富国強兵」政策の「第2ステージ」にほかならないのですから。

 

戦争法案とのたたかいと政治変革の展望 (2015.10.25)

 9月26日の東京革新懇世話人会・学習交流会での講演を記録したもの。『東京革新懇ニュース』第406号、2015年10月5日号


 戦争法とのたたかいは、試合に負けたが勝負には勝った。決着は次の参院選、解散・総選挙でつける。国民の民主主義的覚醒―政治変革の必要性と決意、主体形成が促された。パンドラの箱に残った希望は民の声―それを国民連合政府樹立の力とするのが課題だ。

 T.国会での審議・採決を通じて何が明らかになったのか

 立憲主義・平和主義・民主主義が破壊されたのが、国民に明瞭に見えた。特に、立憲主義を変えることは許されないと、日常会話に立憲主義が出てくるようになった。
 民意は、「法案反対」51%(「朝日」)、「憲法に違反」60%(「毎日」)、「論議尽くされてない」75%(「朝日」)、「説明不十分」82%(「読売」)だ。

 U.戦争法案とのたたかいで何が明らかになったのか

 強く打てば強く響く―攻撃への反発や抵抗が生まれた。広範な人々が立ち上がり、全国2000ヶ所以上で数千回の抗議、累計130万人以上が路上で抗議した。相次いで新しい組織が結成され、労組など既成の組織は裏方に回って運動を支えた。

 デモの復権

 原発再稼働反対、秘密保護法制定阻止、戦争法案反対とデモの再生と拡大があった。デモの形態も多様で、「わたし」が主語で自分の言葉で話し、心を打つ内容だった。
 産経・フジ調査でデモ参加は3.4%(20歳以上で356万人)、「今後参加したい」18.3%。

 獲得された大衆運動の「新しい質」

 3つの潮流が合流し総がかり行動実行委員会を形成、市民運動を仲立ちとした連合系と全労連系の連携ができた。
 青年・学生参加の背景は貧困と不安であり、かつては「他者」のためだったが、今は「平和で安全な社会にしていく」「自己」のために立ちあがった。
 高齢者と若者、組織と個人、地方・地域と国会周辺のコラボ、土台と上部構造の関係だった。運動の武器としてのSNSが力を発揮した。

 V.政治変革・国民連合政府の樹立に向けて

 万余の人々への連夜の行動は政治教育となった。「戦争法案今すぐ廃案」から「安倍内閣は今すぐ退陣」へ倒閣運動へと転化した。持続的な運動による世論の変化、裁判闘争、選挙での落選運動がめざされる。
 共産党提案の国民連合政府は、入閣は条件にしていず戦争法廃止一点での共闘だ。国民の願いを優先させるか、党利党略に走って第2自民党になるかリトマス試験紙となる。
 解散・総選挙を要求しつつ参院選でネジレをつくり、衆院選で政権交代、暫定政府の樹立めざす。

 参院選での選挙協力がポイント

 参院選での1人区対策が重要で、民主・維新・共産・社民・生活の5党による選挙協力が出来るか問われる。与野党差は28で14議席覆せば逆転する。総議席の賛成派は148で反対派は90、改選の賛成派は65で反対派は56だ。
 しかし、民主党には、日本会議所属の長島昭久、原口一博、前原誠司、松原仁等がいる。

 今後の対決の焦点と条件

 カギを握るのは民主党だ。「右のドアを閉めて左のドアを開けよ」でなければ、民主党政権で「裏切られた」との国民の思いは払拭できない。
 上部だけでなく土台が変わり始め、本格的な政権交代の準備が始まっている。上からの風頼みの交代ではなく下からの草の根の力による交代へへ。

 むすび

 「反共主義」では国民の期待に応えられない。
 気分としての「反自民」、政策としての「半自民」との中途半端さを克服し、安倍政権に対する対抗と政策転換の方向性を明確にする必要がある。
 この間の運動で培われた協力・共同の経験を生かして、草の根の地域から国会内や国政に至るまでの幅広い共闘を構築し、安倍首相の退陣を実現して政治を変えていくこと――これこそが安倍首相による「政治的プレゼント」を最大限に活用する道にほかならない。



 

自民党の変貌―ハトとタカの相克はなぜ終焉したか (2015.10.12)

  雑誌『世界』2015年10月号、岩波書店発行

 「自民党がこれ以上『右』に行かないようにしてほしい。いま保守政治というより右翼政治のような気がする」
 元自民党総裁の河野洋平氏は二〇一五年二月二四日に名古屋市内で行われた講演で、こう述べた。
 元自民党副総裁の山崎拓氏も、八月八日のシンポジウムで「かつてのような活発な議論はなく、自民党は戦前の大政翼賛会的になっている」と批判した。総裁と副総裁という最高幹部の経験者が、ともに自民党が変わったと言っている。河野氏は「右翼政治」に、山崎氏は「大政翼賛会的」に……。
 幹事長経験者が現在の自民党を批判するのも珍しくない。古賀誠氏は三月二七日収録のテレビ番組で、安全保障法制について「とんでもない法制化が進められようとしている」と批判しつつ、「自民党の先生方、何か言ってくれよ。なんで黙っているんだ。ハト派じゃなくて、良質な保守派の人たちいっぱいいるはずなんだから」と苦言を呈した。野中広務氏や加藤紘一氏らも日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場し、安倍首相を批判して注目された。
 六月一二日には、山崎拓氏、亀井静香氏、武村正義氏、藤井裕久氏というかつては自民党に籍を置いていた長老四人が日本記者クラブで緊急共同会見を行い、安全保障法案への危惧を訴えた。
 これら自民党OBの言動は自民党の変貌を示唆している。果たして、自民党は変わったのか。何が、どのように変わったのか。そこにはどのような論理や背景が存在しているのか。そして、変わったとすれば、その意味はどのようなものなのか。以下、これらについて検討することにしたい。

 1 安保法制審議で明らかになった自民党の変質

 自民党の変化

 明らかに、自民党は変わった。その変貌ぶりは、安保法制の審議で明瞭になっている。たとえば、以下のような変化が生じた。
 第一に、憲法に対する態度の変化である。自民党は改憲を党是として結党されたが、それを実際の政治課題としたのは安倍政権が初めてであった。安倍首相のもとで、自民党は改憲を目標とする政党から、改憲を実行する政党へと変貌したのである。
 第二に、野党に対する態度も変化した。国会での「一強多弱」と言われるような勢力関係を背景に、強権的で独裁的な運営が目立つようになっている。自民党内でも異論が許されず、批判が表面化しない「執行部独裁」の傾向が強まった。山崎元副総裁が「大政翼賛会的」だと批判するゆえんである。
 第三に、民意への顧慮や恐れのようなものが姿を消した。かつて、竹下元首相が「国会は野党の言い分を聞くためにある」と言っていたのは、その背後に多様な民意が存在していることを知っていたからである。今日の「一強多弱」状況も選挙制度による「錯覚」にすぎない。その背後には衆院選で自民党に投票しなかった四分の三以上の有権者の民意が存在しているという事実を、安倍首相は忘れている。
 第四に、議員の質的な劣化が露呈した。この間、安倍首相や中谷防衛相、麻生副総理、高村自民党副総裁、岸田外相などの答弁や発言が批判されたり、顰蹙を買ったりすることが多かった。それだけでなく、自民党文化芸術懇話会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと発言した大西英男衆院議員はじめ井上貴博衆院議員や長尾敬衆院議員、「法的安定性は関係ない」と言い放った礒崎陽輔首相補佐官(参院議員)、安保法案に反対する学生たちを「極端な利己的考え」などと批判した武藤貴也衆院議員などの暴言も相次いだ。
 しかも、礒崎首相補佐官は東大法学部の出身であるにもかかわらず立憲主義について教わったことがないと吐露し、武藤議員はブログで憲法の三大原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)について「私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」と述べ、その後、金銭トラブルが表面化して自民党を離党した。議員としての質の劣化は否定しようがない。

 安倍首相の転換

 同時に指摘しておくべきことは、安保法制審議に至る過程で、安倍首相のジレンマも明確になってきたことである。それは当初の主張の揺れ戻しや転換をもたらしている。
 その第一は、「対米自立」から「対米従属」への暗転である。第一次安倍政権が掲げていた「戦後レジームからの脱却」という目標は姿を消し、このスローガンが持っていた「反米的色彩」を払拭するために、集団的自衛権行使容認によってアメリカの要求を全面的に受け入れた。二〇一三年二月の初訪米時におけるオバマ大統領による冷遇から今年四月の訪米時の歓待への変化こそ、この間の安倍首相の屈服を如実に示すものだと言える。
 第二は、歴史修正主義路線の部分的修正である。安倍首相は、第二次政権発足当初、第一次政権で靖国神社を参拝できなかったのは痛恨の極みだとして、その実現に意欲を燃やした。しかし、それが実現したのは第二次政権発足一年後の二〇一三年一二月のことであり、この一回を除いて、以後、一度も参拝していない。安倍首相としては不本意であろうが、そのような国際環境を生み出したのも安倍首相本人の歴史修正主義的発言の数々であった。
 そして第三は、「戦後七〇年談話」での部分的な撤退である。当初、安倍首相は「村山談話」や「小泉談話」とは異なった新しい談話を出すことによって「上書き」し、この二つの談話の内容を実質的に修正しようとしていた。しかし、国内外からの批判や発言に押されて、このもくろみは失敗した。「キーターム」を散りばめた談話は本心を隠して表面を取り繕う欺瞞に満ちたものとなり、前の談話を根本的に覆すことはできなかった。
 以上の結果、安倍政権は安保法制に危機感を高める世論の支持を失っただけでなく、その歴史修正主義的言動に期待していた右翼的な支持者の一部をも失望させることになった。自民党の変貌は支持基盤の狭隘化をもたらし、安倍内閣は支持率を低下させ、自民党の支持率もそれに連動して低下する兆しを見せている。

 2 自民党を制覇した旧保守傍流路線

 二大政治潮流の存在

 自民党には伝統的に二つの大きな政治潮流が存在した。それはこの政党の出自に深くかかわっている。一九五五年に自由党と民主党という二つの保守政党の合同によって結成されたからである。主として自由党の流れを汲み吉田茂の人脈を受け継ぐのが「ハト派」とされ、民主党に近く岸信介の人脈を引き継いでいるのが「タカ派」である。
 六〇年安保闘争によって岸内閣は倒れ、その後の池田・佐藤両内閣を通じて保守政治は安定期を迎える。この時期に、政策路線としての解釈改憲路線、経済主義路線、対米協調路線と、政治手法としての合意漸進路線が正統性を獲得し、保守政治の基本路線として認知された。これが「保守本流」であり、保守勢力による現実対応の姿だったといえる。
 こうして、「保守本流・ハト派・吉田」の流れと「保守傍流・タカ派・岸」の流れという二つの政治潮流が自民党の歴史を彩ることになった。派閥で言えば、前者は旧田中派や旧大平派(宏池会)であり、後者は旧福田派や旧中曽根派である。この流れは一定の期間を経て左右が入れ替わる「振り子の論理」によって自民党内での擬似政権交代を演出してきた。
 ただし長い間、自民党内では「保守本流」が大きな力を持ち続けた。池田内閣から小渕内閣までの一八代四〇年間にわたって、福田・中曽根の両内閣を除けば(佐藤内閣は微妙だが)、基本的に「ハト派・リベラル」政権だったと言える。
 これに対して二〇〇〇年の森喜朗政権以降、現在の安倍政権までの九代一五年間では、森・小泉・安倍・福田政権という旧福田派の流れを汲むタカ派 政権が続く。麻生元首相は吉田茂の孫だから吉田亜流だが、その後の政権交代で鳩山・菅・野田の民主党政権が誕生した。そして、再び政権交代が起こって安倍首相の再登場となり、大きく右に揺れるのである。
 この二〇一二年総選挙が画期であった。「安倍チルドレン」の大量当選など、この選挙で自民党議員の人的構成が大きく変化したからである。旧保守傍流路線の制覇による右傾化、質的な劣化は、このときをもって頂点に達した。

 軍事大国化と右傾化、新自由主義化の進行

 このように、自民党政権においても、福田、中曽根、小泉、安倍政権は「保守傍流・タカ派・岸」の流れを汲む特異な政権であった。福田首相を除いていずれも長期政権を維持したのは、時には米国の要求を値切る保守本流より軍事大国化を志向する傍流の方が米国にとって都合が良かったからであり、右傾化を強める社会意識の変化に適合し、新自由主義的改革路線によって従来の保守支配の構造を打破する強い志向性を持っていたからである。
 森政権以降、次第に「保守傍流・タカ派・岸」の流れが強まっていく。民主党の結成やみんなの党、生活の党、維新の党など第三極諸党の結成によって「保守本流・ハト派・吉田」の流れを汲む勢力や個人が自民党の外に流出した。そのために自民党内での「保守傍流・タカ派・岸」の勢力の比重が高まったからである。
 こうして自民党は右傾化し、極右政党としての傾向を強めたため、キャッチオール・パーティーとしての性格を薄めて合意形成能力を失った。その結果、合意形成が難しくなればなるほど、さらに右派的イデオロギーによる国民統合を図ろうとして右傾化を強めるという悪循環に陥ることになる。
 同時に、軍事大国化が強まり、自衛隊の海外派兵の動きが具体化してきた。ただし、中曽根政権の時には米国からペルシャ湾への掃海艇派遣が要請されたが、旧田中派出身の後藤田正晴官房長官は「閣議ではサインしません」と迫って派遣を断念させている。
 しかし、小泉政権の時にはこのような制止は働かず、イラクの復興支援という名目で自衛隊が派遣された。今後、安保法制が整備されれば、「国際平和支援法」という海外派兵のための恒久法ができ、他国(軍)を守るために自衛隊が海外に送られ、米軍などとの共同作戦や「後方支援」に従事し、国連平和維持活動(PKO)でも活動範囲を拡大して治安維持や駆けつけ警護などができるようになる。
 新自由主義化についても、中曽根政権以来の規制緩和路線の終着点が近づいているように見える。それは「臨調・行革路線」として始まり、小泉政権による「構造改革」へと受け継がれ、安倍政権の労働の規制緩和路線の再起動によって総仕上げされようとしている。
 労働者派遣法の改定も労働基準法の改定も、共に原理的な転換を含んでいる。それは規制緩和の量的な拡大ではなく、派遣事業や労働時間についての質的な変化をもたらすことになるだろう。派遣は「一時的・臨時的」なものではなくなり、「常用労働者」に対する代替がすすみ、正規労働者が派遣などの非正規労働者に置き換えられることになる。労働時間に対する制限が撤廃され、労働に対する時間管理という考え方自体が時代遅れであるとして否定されるにちがいない。

 突出した軍事偏重

 このような変化において、安倍首相における軍事偏重はどの首相よりも突出しており、際立った特徴となっている。確かに、岸首相や鳩山一郎首相なども憲法改正と再軍備を主張し、中曽根首相も「日本列島不沈空母論」や「三海峡封鎖論」を唱えた。安倍首相もその「伝統」を受け継いでいる。しかし、安倍首相の場合には、発言だけでなく実際の政策変更によってその具体化を急速に進めてきた。
 第一に、安倍首相はどの首相よりも自衛隊への親近感を示している。二〇一三年に幕張メッセで開かれたイベントを訪問した際、ヘルメットに迷彩服姿で戦車に乗るというパフォーマンスを見せたことは象徴的だった。航空自衛隊松島基地を訪問した際には細菌兵器の人体実験を行った旧陸軍731部隊と同じ機体番号の戦闘機に搭乗して顰蹙を買った。中谷防衛相や佐藤正久参院議員など自衛隊出身者の重用も目立つ。
 第二に、安倍首相は「積極的平和主義」を掲げ、軍事的対応による平和構築や秩序の安定を重視している。日本だけでなく国際社会の平和のために能動的・積極的な役割を果たすことだとされているが、その中核には自衛隊が位置付けられている。二〇一三年一二月閣議決定の「国家安全保障戦略」では、この積極的平和主義が基本理念とされた。
 第三に、「海外で戦争する国」になるための既成事実化が図られてきた。システム、ハード、ソフトの面で専守防衛の平和国家路線からの転換が目指されている。このような姿勢はこれまでの全ての自民党政権以上に顕著となっている。
 まず、法・制度の改変によるシステムの整備という点では、第一次安倍内閣時における防衛庁の防衛省への昇格、第二次内閣になってからの国家安全保障会議(日本版NSC)と国家安全保障局の新設による戦争指導体制の整備、武器輸出三原則から防衛装備移転三原則への変更による禁輸から輸出へという一八〇度の転換、政府開発援助(ODA)大綱の「開発協力大綱」への変更による非軍事目的の他国軍への支援の容認、背広組優位を転換して「文官統制」規定を廃止した防衛省設置法一二条の改正、日豪・日露・日英間での外務・防衛担当閣僚会議(2プラス2)の設置などが目につく。
 次に、自衛隊の「戦力」化と在日米軍基地の強化などの「ハード」の整備という点では、前述の国家安全保障戦略とともに新防衛計画の大綱や新中期防衛力整備計画(五年間で二五兆円)の閣議決定、陸上総隊の新設と「水陸機動団」編成による日本版海兵隊の新設、軍需産業と一体での武器技術の開発・調達・輸出を推進する防衛装備庁の新設、防衛省による武器に応用できる大学での研究の公募開始、沖縄・普天間基地移設を名目とした辺野古新基地建設の強行などを挙げることができる。二〇一六年度予算の概算要求では、オスプレイの購入、イージス艦の建造、新型空中給油機の取得なども計上されている。いずれも海外展開を視野に入れた要求に見える。
 さらに、世論対策と教育への介入などの「ソフト」の整備という点では、首相官邸によるマスコミへの懐柔と干渉、NHK会長や経営委員への「お友達」の選任、特定秘密保護法の制定による軍事機密の秘匿、情報の隠蔽と取材規制、改正通信傍受法案(盗聴法案)・刑訴法改定法案の提出、教育再生実行会議による教育への介入、教育委員会や教科書内容・選定への干渉、愛国心の涵養や道徳の教科化などによる「戦争する心」作りなどが着手されている。
 「海外で戦争する国」に向けての準備は安保法制に限られない。このような形で、総合的、全面的な政策展開がなされ、着々と既成事実化している点に注目し、警戒する必要がある。

 3 「統治政党」としての能力の喪失

 「本流」となった旧保守傍流路線

 このようにして、旧保守傍流路線は自民党内での正統性を確立し、今日では「本流」となっている。派閥の系譜から言えば、その転換点は森喜朗政権の成立だが、政策内容や政治手法の点では、その後の小泉政権が画期だったと思われる。小泉政権のもとで自民党内におけるヘゲモニーが大きく転換し、現在の安倍政権において決定的となった。
 第一に、旧保守本流の政治路線の特徴であった解釈改憲路線は、明文改憲と実質(立法)改憲をも含み込んだ総合的な改憲路線に転換した。安倍政権は閣議決定によって集団的自衛権の行使容認についての解釈を変更し、将来の九条改憲を展望しつつ安全保障法制の整備という立法によって実質的な改憲を行おうとしている。
 第二に、経済主義路線も政治主義路線に席を譲った。経済優先の政策によって政治的な対立を避け利益誘導などを通じて政治を運営するというやり方から、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加、特定秘密保護法や安全保障法制など、与野党間だけでなく与党内に対立と抵抗を生み出すような政治課題を正面からかかげることに躊躇しなくなったからである。
 第三に、対米協調路線は対米従属路線へと変質した。とりわけ、アメリカからの軍事的要求に対しては、憲法上の制約を盾に一定の抵抗を示してきた「保守本流・ハト派・吉田」の流れとは異なり、その憲法上の制約自体を取り払って全面的に受け入れようとしている。「協調」から「従属」への転換は、「右翼の民族主義者」だったはずの安倍首相によって完成されつつある。
 さらに第四に、政治手法としての合意漸進路線などは見る影もない。野党はもとより国民との合意は最初から問題とされず、独善的で強権的な政治運営が際立っている。国民の批判と反発は安全保障法制の内容だけではなく、初めに「結論ありき」で聞く耳を持たず、断定的な口調で異論を封じる唯我独尊的な手法や民意を無視した強引で拙速な国会運営に対しても向けられている。
 こうして、自民党内では本流とされてきた穏健保守=プラグマチストから急進極右=リビジョニストへのヘゲモニーの転換が生じた。それは現行憲法を前提とする現実的な対応から憲法体制の修正による「戦後レジームの脱却」、より正確には「戦前レジームの開始」を意味することになるだろう。

 部分政党への変貌と小選挙区制の害悪

 以上のように、リベラル派の離脱によって旧保守傍流政権がヘゲモニーを確立した結果、軍事大国化、右傾化、新自由主義化が進んできた。それに伴って自民党は国民的合意を調達する能力を失い、民意から乖離し、社会の右側に集まっている一部の民意を代表するだけの部分政党に変貌してしまった。
 自民党内でさえ影の存在であった安倍首相とその仲間たちが政権を担当できる理由がここにある。安倍政権の閣僚・党役員では、日本会議(日本会議国会議員懇談会)、神政連(神道政治連盟国会議員懇談会)、みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会などの超タカ派で極右改憲勢力に属する議員が大半を占めている。なかには、在特会(在日特権を許さない市民の会)やネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」と親和的な人物もいる。
 このように、一部の民意を代表するにすぎない部分政党が政権を担当できるのはどうしてなのか。その部分政党で、「官邸支配」とも言うべき強権体制が生み出されたのはなぜか。そのカラクリは小選挙区制という選挙制度とその政治的効果にある。
 第一に、小選挙区制は少数を多数に変えてしまう「ふくらまし粉」効果を持っている。昨年の総選挙で、自民党の絶対得票率(有権者内での得票割合)は、小選挙区で二四・五%、比例代表で一七・〇%にすぎなかった。自民党が代表する「一部の民意」とは、正確に言えば、有権者の四分の一から六分の一ほどにすぎない。それなのに「虚構の多数派」を形成できるのは小選挙区制のカラクリによる。
 しかも第二に、小選挙区制は公認権を握る執行部の力を強大にした。大政党に有利で、公認されればほぼ当確が決まってしまうからである。しかも、「抵抗勢力」になれば「刺客」という対立候補が立てられ、国会から放逐されるという実例が小泉政権時代の「郵政選挙」によって示された。異論が表面化しない「大政翼賛会的」な構造を支えているのは、このような小選挙区制の政治的効果なのである。
 第三に、その結果、自民党は党内での緊張感を弱め、地域や地方での手足を失うことになった。派閥の力が弱まって集権化が進み、二世議員や三世議員が増え、選挙区との日常的なつながりが薄まった。派閥の新人発掘機能や議員への教育・訓練機能も失われ、若い候補者が政治家として鍛えられるチャンスが減った。その結果、「こんな人が」と思われるような不適格者も国会議員になってしまう。

 国民統合に向けての工作と「虚構」の崩壊

 こうして、部分政党となった自民党は政権政党としての合意形成能力や統治能力を弱体化させた。それを補うために用いられている手段が、第一にマスコミへの介入による情報操作であり、第二に対外的危機感の醸成であり、第三に排外主義や愛国心などのイデオロギー支配の強化である。
 特定秘密保護法やマスコミ工作によって情報が左右され、北朝鮮の核開発やミサイル実験、中国の海洋進出や軍事費の増大などが喧伝され、教科書の採択や教育内容への介入などによって、真実を隠蔽して政権への求心力を高めようとしている。
 しかし、このような国民統合に向けての工作にもかかわらず、少数支配の「虚構」が崩れ始めた。小選挙区制のカラクリによって隠されていた本当の民意が、集会やデモ、世論調査での反対の多さや内閣支持率の低下という形で、はっきりと目に見えるようになってきている。「虚構」に対する「実像」の可視化である。
 国会での自公両党の多数議席は小選挙区制が生み出した「虚構」の上に築かれた「砂上の楼閣」にすぎない。安倍首相がこの「虚構」を頼みに民意に反する強権的な行動に出たため、この「楼閣」は崩れ始めている。内閣支持率が三割を割って自民党支持率を下回り、両者の合計が五〇%を切るとき政権の黄昏が訪れる。これがこれまでの経験則であった。その経験則がいま、試されようとしている。

 4 自民党の危機

 内外政策における破たん

 九〇年代初めのバブル崩壊によって右肩上がりの時代は終焉した。その後の新自由主義の台頭、貧困化と格差の拡大などによって、日本社会は新たな困難に直面するに至った。しかし、自民党はもはやこれらの問題を解決する能力を持たない。
 安倍政権は地方創生、女性の活躍推進、少子化対策などを政権の「目玉政策」として掲げている。これらはこれまでの自民党政治の結果として対応せざるを得なくなった矛盾ばかりである。しかも、地方創生とTPP参加や農業改革、女性進出と非正規化推進の「生涯ハケン」法案(労働者派遣法の改定)、少子化と「残業ゼロ」法案(労働基準法の改定)など、打ち出された政策は相互に矛盾している。自民党が政策的な問題解決能力を失っている一例にほかならない。
 アベノミクスも破綻しつつあるが、その「成長戦略」の柱には、医療や武器輸出も据えられている。病気にせよ戦争にせよ、「人の不幸」を食いものにして経済成長を図ろうという「戦略」である。このような発想そのものが根本的に間違っている。
 外交・安全保障政策においては「周回遅れの対米従属」路線を選択しようとしている。「海外で戦争する国」になって米軍を補完ないし肩代わりすることは、米国の力の衰退、日本への軍事分担要求の増大、国際的な役割発揮への意欲などを背景としているが、それは失敗した「アメリカの道」の後追いにすぎない。
 安倍首相に近い米国内のカウンター・パートナーは共和党ですらない。その内部にある極右勢力のティーパーティー(茶会)である。当初、民主党リベラル派のオバマ大統領が安倍首相に対して警戒感を抱いたのは、このような勢力との親近性のゆえであった。
 このような警戒感は安倍首相の靖国神社参拝によって強められ、それを払しょくして米国に取り入るために、TPPや軍事分担などの面での対日要求を受け入れざるを得なくなった。その結果、日本をアメリカの多国籍企業の市場として開放し、日本の自衛隊を米軍の補完部隊として提供しようとしている。
 安全保障法制は米国の要求への屈服であり、二〇一二年夏に発表された「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」への「満額回答」であった。周辺諸国との和解と友好関係の構築にとっての最大の障害は安倍首相自身だというジレンマもある。これこそ対外政策の破綻を示す象徴的な事例にほかならない。

 安倍首相の誤算

 安倍首相が陥っているジレンマはこれにとどまらない。保守本流路線からの転換が引き起こした誤算によって、自民党は危機に直面することになった。
 第一に、明文改憲路線を打ち出して憲法が政治的争点の中心に座ることになったため、現行憲法や九条の意義、立憲主義の意味などについて改めて国民の理解が深まった。その結果、安倍首相は当初めざしていた九六条改憲を断念し、集団的自衛権の行使容認についても九条改憲への直進ではなく閣議決定による解釈改憲と安全保障法制による立法改憲を先行させるという形で戦術転換を余儀なくされた。
 第二に、政治主義路線への転換によって対立が深まり、安保闘争時と同様に国論が二分されることになったため、政治的覚醒と民主主義の活性化が生じ、安保闘争に似た状況が生まれた。量的な規模では及ばないとはいえ、組織的動員ではなくSNSなどの通信手段を駆使して個人が自主的自発的に参加し、若者や母親、学者や学生などの幅広い階層が加わり、地方や地域でも議会での決議やデモが広がるなど、運動は新たな人々に広がりを見せている。
 第三に、合意漸進路線の放棄によって与野党対立が深まったため、国政に緊張感が生じて国会審議が活性化するとともに、民主党が元気になり、共産党への支持が増えている。とりわけ、総選挙など各種選挙で共産党の議席や得票が増えている。安倍政権の強硬急進路線による治的受益者が共産党であるという点は、安倍首相にとって誤算であるにちがいない。
 以上のような変貌の結果、表面的な「一強多弱」とは裏腹に自民党は危機に陥ることになった。
逆に、野党は政治的な資産を蓄えつつある。いわば安倍首相による「政治的プレゼント」と言える。
 しかし、それが現段階では政党支持率のはっきりとした変動、とりわけ野党に対する支持率の増大に結びついているわけではないことに留意しなければならない。民主党再生への道は険しく、維新の党は分裂寸前で、第三極諸党に対する不信感も払しょくされていない。
 この間に蓄えた政治的資産を最大限に生かし、政権批判の受け皿という新たな選択肢を提供することが今後の課題であろう。そのためには、気分としての「反自民」、政策としての「半自民」というような立ち位置と政策の中途半端さを克服し、来年の参院選をも展望しつつ安倍政権に対する対抗と政策転換の方向性を明確にする必要がある。
 この間の安全保障法制に対する反対運動で培われた協力・共同の経験を生かして、草の根の地域から国会内や国政に至るまでの幅広い共闘を構築し、安倍首相の退陣を実現して政治を変えていくこと――これこそが安倍首相による「政治的プレゼント」を最大限に活用する道にほかならない。
  ◆2014年10月18日〜8月31日までは「別のページ」


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